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2021/02/04
世界の国々シリーズ(6)ミャンマー
筆者:大田忍

ミャンマーという国

1989年まで「ビルマ」の名前だった国。ミャンマーは「強い人」という意味のビルマ語が由来。1989年に軍事政権によってビルマからミャンマーに変更されました。
ミャンマー大使館

正式名称

ミャンマー連邦共和国。英語:Republic of the Union of Myanmar。

ミャンマーの場所

北西にバングラデシュとインド、北東に中国、東にラオス、南東にタイ、南にアンダマン海、南西にベンガル湾に接しています。

ミャンマーの国旗と国章

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国旗
2010年に現国旗に変更されました。黄色は「国民の団結」、緑は「平和と豊かな自然環境」、赤は「勇気と決断力」の象徴。白い星は「地理的・民族的に一体化する意義」を示し、三色の帯にまたがるようにして配置されています。
国章

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左右に「チンテ(chinthe)」と呼ばえる獅子像が配され、それぞれ外側を観ています。真ん中にはミャンマーの地図、それを円形の稲穂が囲み、上部には星。その外側をミャンマー伝来の花で飾られています。スクリーン(帯)には、ビルマ語で「ミャンマー連邦共和国」と記されています。

ミャンマーのざっくり歴史

1050年 パガン朝(ビルマ族)もともとイラワジ川(ミャンマーの中央を流れる川で全長2170km。ちなみに日本は南北の長さ2,845㎞)流域に住んでいたモン族を南下してきたビルマ族が侵入し、1050年にパガン朝を建てます。
1287年 モンゴルの侵略で小国分立
1531年 ビルマ族のタウングー朝が国土を再統一
1752年 モン族にタウングー朝が滅ぼされる
1752年 アラウンパヤーがモン族を撃退し、コンバウン王朝を設立する
1824年 第一次英緬(えいめん)戦争(イギリス対ビルマの戦争)※英語は、First Burmese War
1852年 第二次英緬戦争(イギリス対ビルマの戦争)※英語は、Second Burmese War
1885年 第三次英緬戦争(イギリス対ビルマの戦争)※英語は、Third Burmese Warこの戦争でビルマはイギリスに降伏し、イギリス領インドに組み込まれます。ビルマ国王夫妻はボンベイに流刑になり、その地で死亡。王子は処刑。王女はイギリス軍士官の従卒に与えられてしまいました。
1937年 イギリス領インドから分離、自治領となる
1942–1945年 第二次世界大戦中に日本に占領される※少数民族のロヒンギャと仏教徒である多数のビルマ国民との間に対立を生んだのは、侵略してきた日本に対して統治していたイギリスが仏教徒ではないロヒンギャに武器をもたせて戦わせたこと史実。ロヒンギャの虐殺は、日本に関わりのある話とも言えます。
日本占領下のときイギリスから独立したという形でビルマ国としていました。日本の敗戦後、イギリス植民地に戻ります
1948年1月4日 イギリス連邦を離脱し、自主独立を果たし、ビルマ連邦となります
1962年 クーデターが起こり、ビルマ社会主義計画党のネ・ウィンの独裁政権となります

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ネ・ウィン(Ne Win)
1974年 国名をビルマ連邦社会主義共和国と改名します
1988年 民主化運動によりネ・ウィン体制が崩壊するも、ミャンマー国軍がクーデターを起こし、軍事政権を開始し、国名をミャンマー連邦に改名します
1990年 総選挙でアウンサンスーチー率いる国民民主連盟が大勝します。しかし軍政側は、「民主化より国の安全を優先する」として権力の譲渡を拒否。
2010年 総選挙により軍事政権が解散。文民政権が発足。このときアウンサンスーチーら政治犯とされていた方々が釈放されます。国名はミャンマー連邦共和国に改名されます。文民政権になるも少数民族の扱い、民族反乱への対応について国際的に批判が続きます。
2015年 選挙でアウンサンスーチーの党が両院で過半数を獲得。それでもミャンマー軍は政治的に大きな影響力を持ち続けていました。
2021年 ミャンマー軍は、ウィン・ミン大統領、アウンサンスーチー国家顧問、NLD幹部、NLD出身の地方政府トップら45人以上の身柄を拘束し、非常事態を宣言。ミャンマー軍は、政権がミン・アウン・フライン最高司令官に移譲されたと発表。NLD(国民民主連盟)。

アウンサンスーチーとは

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アウンサンスーチー (Aung san Suu Kyi)Foreign and Commonwealth Office – https://www.flickr.com/photos/foreignoffice/29595313956/, CC 表示 2.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=51351521による
アウンサンスーチー氏の父、アウンサンは、ビルマの独立運動を主導するも、その達成目前に暗殺されてしまいます。アウンサンは「ビルマ建国の父」と呼ばれています。

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アウンサン(Aung San)
アウンサンスーチー氏は、学生時代にオックスフォード大学セント・ヒューズ・カレッジにて哲学・政治学・経済学を学びます。大学卒業後はニューヨークに暮らし、ニューヨーク大学の国際関係論を専攻。しかし中退。智辯と研究者のマイケル・アリス氏と結婚。アリス氏は1999年に前立腺がんのため53歳で死去。
1988年、母の危篤の知らせを受けて、ビルマに帰国。ネ・ウィン将軍の独裁政治は崩壊するが、ミャンマー軍がクーデーターを起こし、軍事政権が生まれてしまう。民主化運動はミャンマー軍により弾圧され、数千人の犠牲者が出ます。アウンサンスーチーは1988年国民民主連盟(NLD)の結党に参加し、書記長に就任します。全国遊説を行うが1989年に自宅軟禁され、NLD書記長を解任されます。
1990年、上述の通りNLD、国民民主連盟が選挙で大勝を果たしますが、軍政側が権力の移譲を拒否。
1991年、アウンサンスーチー氏はノーベル平和賞を受賞。
1995年、自宅軟禁から開放されます。NLD書記長に就任。国民民主連盟は1996年に党大会を計画するも、軍政側が国会議員235人を拘束し弾圧。
2015年 上記の通り総選挙においてNLDが勝利を収めます。外国メディアの取材に対し、アウンサンスーチー氏は、新たに選出される新大統領は、自身が憲法上就任が禁じられているため、傀儡であり、「私がすべてを決定する」と断言しました。
2016年 ミャンマー次期大統領にティンチョー氏が就任。新政権にアウンサンスーチー氏が入閣。アウンサンスーチー氏は外務大臣、大統領府大臣、教育大臣、電力エネルギー大臣の4閣僚を兼任。ただし、政権発足後すぐに電力・エネルギー相はペー・ジン・トゥン (Pe Zin Tun)、教育相はミョー・テイン・ジー (Myo Thein Gyi) に交代。またアウンサンスーチー氏は、ミャンマー連邦共和国国家顧問のポストが新設され、これに任命されます。この「国家顧問」は、憲法の規定で大統領になれないアウンサンスーチー氏に国家の最高指導権を委ねるための措置とみなされています。
2017年 ミャンマー西部ラカイン州で、ミャンマー政府がイスラム系少数ロヒンギャと武装勢力の関わりを何ら検証しないまま、ロヒンギャの村を放火した事実がBBCにより放映されました。
このミャンマー政府のロヒンギャへの対応について、国連関係者から「民族浄化(エスニック・クレンジング)」であるとの指摘がされます。このながれで、アウンサンスーチー氏に授与されたノーベル平和賞を取り消すことをもとめる請願運動が行われ、36万を超える署名が寄せらました。
2018年 アムネスティ・インターナショナルが、アウンサンスーチー氏に授与していた「心の大使賞」を取り消します。同年、アメリカ合衆国、副大統領のマイク・ペンスが、アウンサンスーチー氏に対し「ロヒンギャに対する迫害は『理由なき暴力』だ」と述べました。

ロヒンギャとは

ミャンマーのラカイン州に住む人々。英語ではRohingya people。ミャンマーでは、「ロヒンギャ」という存在を否定しており、バングラデシュからの不法移民と捉え、彼らを「ベンガリ」と呼んでいます。ベンガリとは、ベンガル人の意味。
ロヒンギャはイスラム教が主流。仏教国のミャンマーではかなりの少数派。
不法滞在者とみなされているため、移動の自由は認められていません。
人口は、80万人ほどと推定。しかしミャンマー国軍からの攻撃から逃れるために難民となり、国外へ逃れ、難民となっています。その数は2017年の時点で50万人。
アウンサンスーチー氏は、この問題についての回答を保留しています。※1

ミャンマーの人名には姓がない

ミャンマーでは一般的に姓は持ちません。必要なときに、両親のいずれかの名と自分の名を併用します。子どもが生まれた曜日によって頭文字を決められます。

ミャンマーの概要

国家:共和制国家
共和制国家とは
人口5358万人(2017年)世界26位※日本は1億2427万人で世界11位
首都ネピドー(英語: Naypyidaw)
場所はここ。
首都の人口924,608人(2020年)
言語 ビルマ語(公用語)
ビルマ語で「こんにちは」は、「ミンガラーバー」。
宗教人口の9割が仏教。また人口の13%の約800万人が僧侶。
通貨チャット(MMK)※極度のインフレーション。インフレーションの地図では赤くなっております。

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国土面積:世界40位/ 676,578km2 ※日本は世界61位で377,975.21km2
GDP(PPP):世界55位/2755億1300万ドル(2020年)※日本は世界4位で5兆2361億ドル
GDP(PPP)一人あたり:世界133位/5,179ドル(2020年) ※日本は世界28位で41,637ドル
一人当たりGDPの落とし穴について
軍事費:22億ドル/対GDP比2.7%※日本は世界9位で476億ドルで対GDP比は0.90%
合計特殊出生率(2018年)2.15(世界103位)※日本は1.42で世界183位
ジェンダーギャップ指数Score:0.665(世界114位)※日本は0.652で121位
民主主義指数Score: 3.04 = 独裁政治体制(世界135位)※日本は7.99で世界24位 = 欠陥のある民主主義
民主主義指数についてはこちらに書きました。
ジニ係数Score:30.7(世界113位)= 比較的妥当な所得格差※日本は32.9で世界117位
幸福度ランキングスコア:4.308(世界133位)※日本は、5.886で世界58位
自殺率10万人につき自殺する数:7.8人(世界94位)※世界平均は8.91人※日本は、18.5人で世界14位

概要まとめ

幸せではないが自殺率は高くない。所得格差は激しくないが男女格差は激しいほう(日本よりはまし)。

参照