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2020/03/02
【良いモノ・アーカイブ】№51 Johann Sebastian Bach(ヨハン・ゼバスティアン・バッハ)_音楽
筆者:大田忍

 

大バッハことヨハン・ゼバスティアン・バッハ。

彼の名を知らぬ人は、日本におそらくほとんどいないでしょう。が、一方で、彼のことを良く知る人もあまり多くは居ないのではないでしょうか。

できるかぎり多くを書こうとすれば、すなわち書籍レベルになってしまうので、

えーそうだったの!と思った部分を切り貼りして、ヨハン・ゼバスティアン・バッハの実体に少しでも近づくことを目的としたいと思います。

そんなわけで、ヨハン・ゼバスティアン・バッハの「えーそうだったの」知識5選を紹介します。

 

ヨハン・ゼバスティアン・バッハの「えーそうだったの」知識5選

 

1.時代

クラシックの偉人たちって、音楽に詳しくないものからすると「いったいいつの時代なのか」あまりしらないまま、バッハ、ベートーヴェン、モーツァルト、ブラームスらを「クラシックの人たち」でくくってしまっているでしょう。かく言うわたしもそうです。

ということで、各偉人とバッハの時代をみてみましょう。

 

ヨハン・ゼバスティアン・バッハ  1685–1750(神聖ローマ帝国)

ちなみにバッハが生きた時代、日本はどんな時代だったかというと1680年に徳川綱吉が第5代将軍になっています。そして有名な「生類憐れみの令」を制定したのが1682年から1687年までのあいだとされていますので、ヨハン・ゼバスティアン・バッハが生まれたころですね。

イギリスでは、名誉革命が1688年に起こっています。アメリカはまだ存在していません。

バッハも「ドイツの」と紹介されることが多いですが、彼が生まれたの国は「神聖ローマ帝国」です。

 

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト 1756–1791(神聖ローマ帝国)

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン 1770–1827(神聖ローマ帝国)

ヤーコプ・ルートヴィヒ・フェーリクス・メンデルスゾーン・バルトルディ 1809–1847(自由都市ハンブルク)

ヨハネス・ブラームス 1833–1897(自由ハンザ都市)

ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー 1840–1893(ロシア帝国)

 

バッハ、ベートーヴェン、ブラームスを「3大B」と呼ぶ(呼んでいたのは、ハンス・フォン・ビューローかな)ことがありますが、バッハが亡くなってから20年後にベートーヴェンが生まれ、ベートーヴェンが亡くなってから6年後にブラームスが生まれています。そして皆、ドイツ。

こうやってみるとクラシックの世界が少し見えてくる気がします。

 

 

2.バッハが有名になったのは没後

生前バッハは、オルガンの演奏家、または国際的に活躍した息子たちの父として知られるに過ぎなかったようです。死後は、古臭い古典派としてどんどん忘れさられていくも、音楽家たちに細々となががら受け継がれていき、1829年にメンデルスゾーンが「マタイ受難曲」をベルリン公演で演奏したのがきっかけで再評価が始まりました。死後80年ほどして、再評価がされたわけです。それまでは、作曲家というよりは、演奏家とか「誰々のお父さん」という評価しか得ていなかったことに驚きます。やるな!メンデルスゾーン。

またヨーヨー・マ他、多くのチェリストたちに演奏されて有名な無伴奏チェロ組曲も、スペインのパブロ・カザルス(Pablo Casals)(1876年–1973年)を再発見し、世に広めたことで再評価された組曲です。それまでは練習曲としか捉えられていませんでした。やるな!パブロ・カザルス!

 

マタイ受難曲(カール・リヒター指揮の動画)

イエスの受難を表現しただけであって荘厳で重い。が美しい。なぜ美しいのか……のちほど説明したい。

 

 

パブロ・カザルスの無伴奏チェロ組曲

ちなみに無伴奏チェロ組曲は、チェロの独奏曲で全6曲。各組曲は、それぞれ6曲編成。6組曲×6曲とい構成。6曲は、前奏曲(プレリュード)、アルマンド、クーラント、サラバンド、メヌエット(またはブーレかガヴォット)、ジーグ。

 

3.バッハの曲は数学的

リベラルアーツ(Liberal Arts)と呼ばれる学問は7つあり、3学と4科に分かれています。

3学は、文法学、修辞学、論理学。

4科は、算術、幾何(図形を含む)、天文学、音楽。

これらを図を交えて紹介している本がありました。

Quadrivium: Number Geometry Music Heaven 

英語だけど。

これを読んでみると体感しますが、4科のベースは数字です。音楽そのものが数学的なものだとも言えます。グランドピアノの形は、(中味が)指数関数的です。音の単位のデジベル(dB)は、対数です。

 

さて「バッハが数学的」というのはなぜかと言うと、バッハの音楽(楽譜)のなかには、多くの対称性が潜んでいるからです。対称性とは、具体的に言えば、平行移動したり、上下反転したり、左右対称したり、2倍したりです。これがトポロジーといわれる位相幾何学に関わってきます。何を言っているかわからないかもしれませんが、形にするとドーナッツみたいなものです(トーラスという)。この数学的な整合性が、バッハの曲を美しく成り立たせています。また彼の曲の背景にあるものも数学を通してみていくといろいろ見えてきます。バッハは3にこだわる時期がありますが、この数字はキリスト教から来ています。そのほかに14という数字にもこだわっていますが、これはバッハの名前から来ている数字です。アルファベットの順番でみていくと

BACH

2, 1, 3, 8

全部足すと14です。

興味が湧いた方は、バッハと数学で検索するといろいろと出てくるのでお試しあれ。

 

 

4.意外にやんちゃ

おごそかなバッハの宗教的音楽を聴いていると肖像画と相まって、敬虔な人物像を想像しがちですが、バッハはけっこうやんちゃです。たとえば1705年(バッハ、20歳のころ)、当時ヴァイマルの宮廷楽団に就職していたバッハは、4週間の休暇を取って旅に出ます。アルンシュタットというところからリューベックというところまで400kmを徒歩で向かったというところも若くて元気な姿を想像できて楽しいですが、リューベックで、ブクステフーデというオルガニストに演奏を学ぶのですが、そこで3ヶ月以上も滞在してしまいます。4週間の休暇なのに。当然帰ってくると聖職会議に怒られます。それに懲りずに、その11ヶ月後に今度は、合唱隊に勝手に見知らぬ女の子を入れて歌わせてまた怒られます。その他に教会のオルガン演奏席に勝手に見知らぬ女性を入れて、それもまた怒られます。怒られても怒られても懲りずにやりたいことをやっています。契約した先々でもトラブルを起こしていて、5つの契約先のうち4つでトラブルを起こしていました。怖そうな顔して、ずいぶんやんちゃなヨハン・ゼバスティアン・バッハのようでした。

 

 

5.眼科医がひどい

バッハが、亡くなったのは、1750年の7月。65歳のとき。きっかけは前年の1749年に脳卒中で倒れたこと。このとき内障眼(黒内障や白内障などのこと)を患っていて、ほとんど目が見えなくなっていました。そこでイギリスの高名な眼科医であるジョン・テイラー(John Taylor)(1703–1772年)が、バッハを手術するもの失敗。失敗なのにテイラーは、新聞記者に手術は成功して、バッハの視力は回復したと述べました。失敗なのでもう一度手術するもまた失敗。 投薬や後遺症でバッハは衰弱して高い。このテイラー、バッハのあとに作曲家のゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルを手術。ヘンデルもテイラーの手術で失明しています。ジョン・テイラー、ひどい。しかしテイラー自身も生涯の最後の方は盲目だったようです。同名のミュージシャンが多いのでお気をつけて遊ばせ。

 

John Taylor (oculist)

 

 

 

まとめ

こんなふうにバッハには、意外な面も含めて非常に興味深いところが多々あります。メンデルスゾーンやパブロ・カザルスによる再発掘が、現代のおけるバッハの高名さを形成しているというのも興味深い。それにしてもバッハに限らず、音楽に底流する数字や歴史もたいへんおもしろい。クラシック音楽を「おつにすました古臭いもの」とか「歯医者の待合室で聞くけど」というものとして看過していては(以前のわたしのこと)もったいない。

たとえば、カティア・ブニアティシヴィリ(Khatia Buniatishvili)。ジョージア生まれのフランス人ピアニストの彼女は、とてもセクシーですよ。クラシックはクラシカルじゃないかもしれません。

ブニアティシヴィリのシューマンです。

 

次回は、シャーロック・ホームズも愛したメンデルスゾーンを紹介したいと思います。