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2020/03/09
【良いモノ・アーカイブ】№53 Ludwig van Beethoven(ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン)_音楽
筆者:大田忍

(出典:Portrait of Ludwig van Beethoven in 1803, painted by Christian Horneman.)

ジャジャジャーンの人、ベートーヴェン。その名を知らぬ人は居ないでしょうし、日本では、「楽聖」とまで呼ばれています。それでもベートーヴェンに詳しい方は少ないかもしれません。彼の習慣から時代まで「へーそうだったの」という知識を5つ選んで紹介します。

ベートヴェンの「へーそうだったの」知識5選

 

1.時代

バッハメンデルスゾーンに続き、時代を把握してみましょう。関連する劇作家たちも合わせて時代の前後をみてみましょう。

ウィリアム・シェイクスピア 1564–1616 (イングランド王国)

ヨハン・ゼバスティアン・バッハ  1685–1750(神聖ローマ帝国)

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ 1749–1832(帝国自由都市フランクフルト)

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト 1756–1791(神聖ローマ帝国)

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン 1770–1827(神聖ローマ帝国)

フェーリクス・メンデルスゾーン 1809–1847(自由都市ハンブルク)

リヒャルト・ワーグナー 1813–1883(ザクセン王国ライプツィヒ)

ヨハネス・ブラームス 1833–1897(自由ハンザ都市)

ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー 1840–1893(ロシア帝国)

バッハが死んでから20年後の1770年にベートーヴェンは生まれています。このときアマデウス・モーツァルトは、15歳。ゲーテは、22歳です。若い!

日本の芸術家なら円山応挙(1733–1795)と時代がかぶっています。日本は江戸時代、第10代将軍、徳川家治の治世の時代です。ベートーヴェンが生まれた6年後の1776年にアメリカは独立宣言をしています。独立宣言を書いたのはトーマス・ジェファーソンら。メンデルスゾーンとも大きくかぶっていますから、日本の俳諧の小林一茶(1763–1827)、浮世絵の葛飾北斎(1760–1849)、歌川広重(1797–1858)と重なっています。

 

 

2.音楽の時代は古典派の集大成であり、ロマン派の先駆け

クラシックの音楽の流れについては今まで触れてきませんでしたが、ここでかんたんに概観してみたいと思います。

クラシック(英語ではClassicalと言います)音楽は、中世西洋音楽→ルネッサンス音楽→バロック音楽→古典派音楽→ロマン派音楽、という流れで変容していきます。

 

中世西洋音楽

6世紀から15世紀にかけての音楽。超ざっくり!

 

ルネッサンス音楽

15世紀から16世紀にかけての音楽の総称で、Early music(初期音楽)とも呼ばれています。このあたりから音楽らしくなってきた、という認識があるためです。

 

バロック音楽

16世紀から17世紀にかけての音楽。時代としては、絶対王政の時代と大きくかぶっています。「バロック(baroque)」は、ポルトガル語の「いびつな真珠」を意味するbaroccoが語源。「過剰な装飾」という批判の意味を込めた建築用語でした。どんな音楽かといえば、ヨハン・ゼバスティアン・バッハです!他にもいっぱいいますが、バロック音楽の一例はバッハ!とおぼえて良いです。そこから詳しく知るのが早そうです。

 

古典派音楽

1730年代から1820年代までの、過剰な装飾と言われたバロック音楽から一転、宗教や感情より、悟性、理性を尊重した啓蒙主義を背景とした音楽。がゆえに、厳密な形式に則ったソナタ形式が発展。どんな作曲家が古典派かといえば、

フランツ・ヨーゼフ・ハイドン

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト

そして

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン

 

ロマン派音楽

19世紀の音楽。「やっぱ理性にばっかとらわれず、感情や直感を大事にしたってよくね?」というのがロマン派主義の考えで、それを反映した音楽。ベートーヴェンはその先駆けと言われて、彼以外は、シューベルトが初期ロマン派音楽、シューマン、メンデルスゾーン、ショパンなどが盛期ロマン派音楽に含まれます。後期ロマン派音楽には、フランツ・リスト、ワーグナー、ブラームスなど。

 

この流れをざっくり理解しておくとベートーヴェンが、どのあたりの音楽かわかって楽しくなります。

 

 

3.以外に早く難聴になっている

ベートーヴェンの難聴は有名ですが、20代の後半からすでに難聴が悪化し、28歳には、ほとんど聞こえなくなっていました。若くして自殺を考えるほどの苦悩していたわけですが、そこから「やっぱ音楽やりてー」と復活し、創作を続けることになります。

ベートーヴェンがそのころどんな音楽を作っていたかと言うと

交響曲第1番ハ長調 Op.21

耳が消えこなくてもどんどん作品を作り、みんなが知っている「運命」ことナンバーファイブ交響曲第5番は、ベートーヴェンが、33歳だった1803年に発表されています。

 

交響曲第5番は、1808年、ベートーヴェンが38歳の頃に完成。

カラヤンによるベートーヴェン交響曲第5番。

 

そして年末に流れる第九こと、交響曲第九番は、1824年、ベートーヴェンが54歳のころに完成。この3年後の1827年にベートーヴェンは他界します。

その後も、創作を続けていて交響曲第10番に着手していました。

交響曲ばかりで見てきましたが、かの有名な嬰ハ短調 『月光』は、1801年に作られています。もう耳がほとんど聞こえていなくなってのころです。

ホロヴィッツによる月光

 

 

 

4.変人だが人気者

1826年んい肝硬変で亡くなったベートーヴェン。その葬儀には2万人も参列しました。シューベルトモノその参列に加わっていたそうです。ベートーヴェンが22歳のとき他界したモーツァルトの葬儀には、ほとんど誰も参列しなかったそうで、その差にはモーツァルトに同情し、ベートーヴェンに良かったね−とも言いたくなります。

 

 

 

5.ベートーヴェンの習慣

メイソン・カリーの『天才たちの日課』(※1)によれば、ベートーヴェンには奇妙なものも含めて習慣がいくつかありました。

夜明けに起きすぐに仕事に取り掛かり、朝食にはコーヒーを飲んでいたのですが、コーヒーには細心の注意が払われ、1杯につき正確に60粒のコーヒー豆が数えられて使われていたそうです。

 

やっぱり散歩

昼食後は長い散歩。思い浮かんだ楽想を持ち歩いた五線譜に書き込んだりしていました。散歩はアイデアに最適なので散歩を習慣にした人は多くいました。たとえばキルケゴール。

 

奇妙な習慣とは

手洗い。大きな水差しから手の上に水をかけながら大声で音階を謳っていたそうです。それをみて召使いたちが笑うと、口汚く罵ったそうです。罵られるのに笑うということは、それくらいゆるい雰囲気だったのかもしれません。また汚部屋の人としても有名で、散らかりがマックスになると引っ越すということを繰り返したいたとも聞きます。

 

 

まとめ

いかがでしょうか?ベートーヴェン。習慣からは親しみを感じ、難聴を乗り越える情熱に感化され、その人となりを思い浮かべながら、彼の楽曲を聴くといろいろと染み入るものがあります。クラシック音楽の作曲家たちの詳細に迫ってみると今まで聞き流していたものが、とたんに精彩になってくるから不思議に楽しいです。

 

 

参照

※1:メイソン・カリーの『天才たちの日課