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2020/03/10
【良いモノ・アーカイブ】№54 Wolfgang Amadeus Mozart(ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト)_音楽
筆者:大田忍

(出典:ヨーゼフ・ランゲ作『鍵盤に手を置くモーツァルト』(首より下未完成)妻・コンスタンツェいわく「モーツァルトにもっともよく似た肖像画)

 

誰もが知るモーツァルトは、随分と短命で35歳で亡くなっています。しかし、作品の総数は900曲以上。天才は多作と言いますが、モーツァルトもその一例に加えられるでしょう。

私自身、モーツァルトについて知っているつもりであまり何もしらないので、ここで少しでもヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトについての知識を深めたいと思います。

モーツァルトについての「ほう、そうだったの!?」5選

 

1.多忙

モーツァルトは、25歳からウィーンに定住し、そこでフリーの音楽家として生計を立て始めます。しかし、浪費癖なども手伝って次第に借金が増えていきます。映画『アマデウス』でも有名な宮廷楽長アントニオ・サリエリの営業妨害もあったという説もありますが、何しろ、生計を立てるために、レッスンやら付き合いやらで多忙極まりなかった様子が、姉や父に宛てた手紙に書かれています。※1

メイソン・カリーの『天才たちの日課』によれば、

「いつも朝六時には髪のセットを終え、七時には服装もきちんと整えている。それから九時まで作曲をして(2時間)、九時から午後一時まで個人レッスン。そのあと昼食をとるが、どこかの家に招かれて二時か三時から昼食ということもある。(中略)夕方五時か六時までは作曲の仕事ができない。その時間にも、コンサートが入ることがある。(中略)寝る前に少し作曲をするようにしている。午前一時ごろまでやっていることもよくある——そして翌朝はまた六時起き!」

『素顔のモーツァルト―ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの奇想天外な世界 』(※2)によれば、死去する3年前の手紙(1788年ごろか)にこう語っています。

「ヨーロッパ中の宮廷を周遊していた小さな男の子だったころから、特別な才能の持ち主だと、同じことを言われ続けています。目隠しをされて演奏させられたこともありますし、ありとあらゆる試験をやらされました。こうしたことは、長い時間かけて練習すれば、簡単にできるようになります。僕が幸運に恵まれていることは認めますが、作曲はまるっきり別の問題です。長年にわたって、僕ほど作曲に長い時間と膨大な思考を注いできた人はほかには一人もいません。有名な巨匠の作品はすべて念入りに研究しました。作曲家であるということは精力的な思考と何時間にも及ぶ努力を意味するのです」

天才モーツァルトの多忙な中、エネルギーを注ぎ込んだ作曲への情熱も垣間見れます。

 

2.長調が多いのはほとんど依頼による作曲だったから

モーツァルトの曲は、軽快で優美な曲が多いのですが、当時の流行を反映していたから。 モーツァルトの作品の多くは、生計を立てるために注文を受けて作られたもの。父レオポルト・モーツァルトからは「聴衆の嗜好に配慮せよ」と言われていたようで、父の死後(1787年。ヴォルフガングが31歳)になると自身が目指す音楽に向かうことになったようです。

 

3.父の死の前後の作品をざっくり見てみる

1773年10月 交響曲第25番 ト短調(モーツァルトの交響曲で短調で書かれているのはこの他に交響曲第40番のみ)

 

1778年 フランスの歌曲「ああ、お母さん、あなたに申しましょう」による12の変奏曲(きらきら星変奏曲)

 

1783年 ピアノソナタ第11番 イ長調 K. 331『トルコ行進曲付き』

モーツァルト: ピアノ・ソナタ 第11番 イ長調 KV331 ヘブラー 1986

 

1787年 セレナード第13番 ト長調 K. 525『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』

 

1787年 父レオポルト・モーツァルト死去

1788年 交響曲第39番 変ホ長調 K. 543

1788年 交響曲第40番 ト短調 K. 550

1788年 交響曲第41番 ハ長調 K. 551『ジュピター』

モーツァルト 交響曲 第41番 ≪ジュピター≫ ハ長調 ワルター K 551 Mozart:Symphony No.41

1788年 ディヴェルティメント 変ホ長調 K.563

W.A. Mozart: «Divertimento» KV 563 / Veronika Eberle / Amihai Grosz / Sol Gabetta

この曲を作曲したのは、1788年9月で交響曲『ジュピター』を作曲した約1ヶ月後にあたります。曲の至る所に「3」という数字を使ってフリーメーソンに献呈した曲。

 

1791年 レクイエム ニ短調 K. 626(未完)

1791年 モーツァルト死去

 

 

 

4.時代の前後

忘れてました。その他の音楽家たちの時代の前後を把握しておきましょう。

ウィリアム・シェイクスピア 1564–1616 (イングランド王国)

ヨハン・ゼバスティアン・バッハ  1685–1750(神聖ローマ帝国)

フランツ・ヨーゼフ・ハイドン 1732–1809年(神聖ローマ帝国)

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ 1749–1832(帝国自由都市フランクフルト)

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト 1756–1791(神聖ローマ帝国)

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン 1770–1827(神聖ローマ帝国)

フェーリクス・メンデルスゾーン 1809–1847(自由都市ハンブルク)

リヒャルト・ワーグナー 1813–1883(ザクセン王国ライプツィヒ)

ヨハネス・ブラームス 1833–1897(自由ハンザ都市)

ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー 1840–1893(ロシア帝国)

 

5.ベーズレ書簡

従姉妹のマリア・アンナ・テークラ・モーツァルトへ送った手紙が、うんこの話ばっかりでした。マリア・アンナ・テークラのことをベーズレ(Bäsle)と呼んでいたため、これらの手紙を「ベーズレ書簡」と呼んでいます。

マリア・アンナ・テークラ・モーツァルト

(出典:Maria Anna Thekla Mozart. Self-portrait in pencil from 1777 or 1778. Now in the Mozart-Museum in Salzburg.

参考

※1:メイソン・カリーの『天才たちの日課

※2:『素顔のモーツァルト―ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの奇想天外な世界