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2020/03/16
【良いモノ・アーカイブ】№60 Richard Wagner(リヒャルト・ワーグナー)_音楽
筆者:大田忍

(出典:Richard Wagner on wikipedia

昨晩、映画『ザ・ハミングバード・プロジェクト』という映画を見ていたら、De Fleursというワーグナーの曲がかかっていたので、今回は、歌劇の人、リヒャルト・ワーグナーについて解説します。

19世紀、ドイツの作曲家、またロマン派歌劇の頂点とも言われるワーグナー。どんな人だったのか。

リヒャルト・ワーグナーについての「へー、そうだったの!?」5選

1.作曲だけじゃない。理論家であり、文筆家であり、舞台の有り様も変えた人

歌劇とは、いわゆるオペラで、演劇と音楽を融合した舞台芸術です。リヒャルト・ワーグナーは、作曲のみならず、歌劇の台本を自分で執筆していました。

また理論家と言われる所以は、総合芸術論に関しての論文も執筆し、楽劇という理論を作り上げています。

楽劇(がくげき)とは、それまでのオペラは歌唱を重視したものでしたが、劇の進行をより重視し、音楽と劇を融合させたスタイルです。音楽の楽と劇が等価に扱わるようにしたのが、このリヒャルト・ワーグナーです。

がゆえに、バイエルン王のルートヴィヒ2世に資金援助を受けて観客が舞台に集中できるようにオーケストラを、舞台の下に押し込める構造の劇場を作り上げました。この構造を「神秘の奈落」と呼んでいます。

 

2.メンデルスゾーンが嫌い

後で見るように、リヒャルト・ワーグナーと同時代にフェリックス・メンデルスゾーンがいたのですが、メンデルスゾーンはかなり人気がありました。1835年、メンデルスゾーンが26歳のとき(ワーグナーは22歳)、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者に任命されます。以来、演奏会では自作のほかに同時代の作曲家たちの作品も多くとりあげていました。そのため多くの作曲家たちから自分の曲を取り上げてほしいという依頼が殺到します。その中にリヒャルト・ワーグナーも居ました。しかしメンデルスゾーンは、ワーグナーが送った草稿をなくしてしまいます。これが契機か、以来、ワーグナーはメンデルスゾーンに嫌悪感を抱くようになりました。

がゆえに、メンデルスゾーンの指揮をテンポが早すぎるなどと批判したり、死後までワーグナーは別名義(K.フライゲダンク(F. Freigedank))で「音楽におけるユダヤ性」という論文をだし、ユダヤ人とメンデルスゾーンを非難しています。彼と同じくメンデルスゾーンを非難していたもののなかには、ワーグナーの歌劇『さまよえるオランダ人』の着想元でもある、詩人ハインリヒ・ハイネもいました。その他、ニーチェもベートーヴェンとワーグナーの間の作曲家という意味で「愛すべき間奏」とひどい批判もしています。ナチスもまたユダヤ人だったメンデルスゾーンを彼の像を撤去していました。

話が、メンデルスゾーン批判の人々に広がってしまいましたが、ワーグナーのメンデルスゾーン嫌い、の発端と経緯でした。

そろそろ時代の話をしましょう。

 

 

3.リヒャルト・ワーグナーの時代

ワーグナーは、以下の通り時代的にもばりばりのロマン派です。

 

 

中世西洋音楽

6世紀から15世紀にかけての音楽。超ざっくり!

 

ルネッサンス音楽

15世紀から16世紀にかけての音楽の総称で、Early music(初期音楽)とも呼ばれています。このあたりから音楽らしくなってきた、という認識があるためです。

 

バロック音楽

16世紀から17世紀にかけての音楽。時代としては、絶対王政の時代と大きくかぶっています。「バロック(baroque)」は、ポルトガル語の「いびつな真珠」を意味するbaroccoが語源。「過剰な装飾」という批判の意味を込めた建築用語でした。

 

(文学)ウィリアム・シェイクスピア 1564–1616 (イングランド王国)

アントニオ・ルーチョ・ヴィヴァルディ  1678–1741(ヴェネツィア共和国)

ヨハン・ゼバスティアン・バッハ  1685–1750(神聖ローマ帝国)

古典派音楽

1730年代から1820年代までの、過剰な装飾と言われたバロック音楽から一転、宗教や感情より、悟性、理性を尊重した啓蒙主義を背景とした音楽。

 

フランツ・ヨーゼフ・ハイドン 1732–1809年(神聖ローマ帝国)

(文学)ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ 1749–1832(帝国自由都市フランクフルト)

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト 1756–1791(神聖ローマ帝国)

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン 1770–1827(神聖ローマ帝国)

 

 

ロマン派音楽

19世紀の音楽。「やっぱ理性にばっかとらわれず、感情や直感を大事にしたってよくね?」というのがロマン派主義の考えで、それを反映した音楽。ベートーヴェンはその先駆けと言われて、彼以外は、シューベルトが初期ロマン派音楽、シューマン、メンデルスゾーン、ショパンなどが盛期ロマン派音楽に含まれます。後期ロマン派音楽には、フランツ・リスト、ワーグナー、ブラームスなど。

フェーリクス・メンデルスゾーン 1809–1847(自由都市ハンブルク)

フランツ・リスト 1811–1886(オーストリア帝国)

リヒャルト・ワーグナー 1813–1883(ザクセン王国ライプツィヒ)

ヨハネス・ブラームス 1833–1897(自由ハンザ都市)

ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー 1840–1893(ロシア帝国)

 

印象主義音楽

だいたいいつも前時代、または主流となった音楽への反動として新しい音楽のムーブメントが始まるのですが、印象主義音楽(本人たちはそう呼ばれたくない場合もありました)のロマン派への反動として形成された音楽です。ロマン派が激しく情緒的で物語の描写の性格があったのに対して、印象主義は、雰囲気の表現(?)に重きをおいた音楽様式だと言われています。聴いていると「静かな感情の漏れ」という気配、というのが私見です。有名なのがクロード・ドビュッシー。

中世西洋音楽やバロック音楽の様式に影響を受け、長調と短調をぼかしたり、不協和音を多用したりし、また簡潔な形式に偏重した音楽様式です。※1

 

クロード・アシル・ドビュッシー 1862–1918(フランス帝国)

エリック・アルフレッド・レスリ・サティ 1866–1925(フランス帝国)

モーリス・ラヴェル 1875–1937(フランス共和国)

 

 

4.有名なワーグナーの作品

オペラに詳しくなくても、有名な映画に使われたこの曲ならご存知かもしれません。

『ワルキューレの騎行』(Ride of the Valkyries)

Richard Wagner: Ride of the Valkyries (Berliner Philharmoniker, Daniel Barenboim)

 

フランシス・フォード・コッポラの『地獄の黙示録(Apocalypse Now)』の壮絶な突撃シーンで使われています。ちなみにこの映画の撮影のストラーロ、編集のマークスは、この映画を「オペラである」と語っています(※2)。

 

この曲は、大作『ニーベルングの指輪』の中の1楽劇、「ヴァルキューレ」の第三幕の冒頭で演奏されるものです。なぜ大作かというと『ニーベルングの指輪』は、4夜も通しで上演するからです。長い!最近では、中休みを数日設けたり、各楽劇をそれぞれ独立して上演したりもしています。『ニーベルングの指輪』は、4つの楽劇で構成されています。

•ラインの黄金

•ヴァルキューレ

•ジークフリート

•神々の黄昏

内容は、それを手にすれば世界を支配できるという「ニーベルングの指輪」を巡って、小人族(ニーベルング)、ヴァルハラの神々(ヴォータン)、巨人族(ファーフナー)、それに英雄ジークフリートが争うというもの。映画『ロード・オブ・ザ・リング』を彷彿させる内容です。

『ニーベルングの指輪』は、ワーグナーが35歳から61歳まで26年間かけて作られました。上演に15時間を要します。

 

 

『タンホイザー』 (Tannhäuser und der Sängerkrieg auf Wartburg)

ワーグナーが1845年(33歳)に完成。恋愛歌人のタンホイザーとワルトブルク領主の姪であるエリザベートとの恋愛物語。3幕。

 

 

『さまよえるオランダ人』(Der fliegende Holländer

1842年(30歳)に完成。この世と煉獄の間をさまよい続けるオランダ人の幽霊船がある。幽霊船にのるオランダ人にダラントという船長が会う。ダラントはオランダ人が「乙女の愛を受けなければ呪いは解かれず死ぬこともできずさまよい続ける」ことを知る。ダラントはオランダ人から財宝をもらい、娘のゼンタを紹介する。ゼンタは、オランダ人に惹かれるが、ゼンタにはエリックという恋人がいた。すったもんだあって、オランダ人は「えー恋人いたのー!?」と誤解して去っていく。「違うのよー!」と証明するためゼンタを崖から身を投げる。愛を得たオランダ人は死ぬことが叶い、幽霊船は沈没する。オランダ人とゼンタは浄化されて昇天していく。

 

 

5.人としてどうかしら?なエピソード

人種差別への嫌悪ってバイアスをできるだけ遠ざけた上で、「ワーグナーって人としてどうかしら?」と思うエピソードをいくつか。

まずは先にも挙げたメンデルスゾーン批判。楽譜の草稿を紛失された恨みだけではないのだろうけれど、それがユダヤ人嫌悪を相まって、しつこく批判し続けています。死後まで。詩人のハインリヒ・ハイネと一緒になって!という印象もあります。彼の別名での論文「音楽におけるユダヤ性」で左部的にメンデルスゾーンを中傷しています。ナチスへの影響もありました。

つぎにワーグナーは、ユダヤ人作曲家ジャコモ・マイアベーア(Giacomo Meyerbeer)に生活費や『さまよえるオランダ人』の上演などの庇護を受けていました。なのに結局先の「音楽におけるユダヤ性」でマイアベーアも中傷しています。マイアベーアがワーグナーを援助しそこなったことがその原因のひとつと目されており、それもやっぱりなんだかなーと思ってしまいます。

ハンス・フォン・ビューローの妻だったコジマと妻がいるのに子どもを設けちゃったあたりも「なんだかなー」って思うのです。不倫はかまわないのだけれど、そのやり方が胸糞が悪い(私見!)。

批判する声が大きい人は、心酔する人々を形成しやすく、カリスマ化することがあります。ワーグナーも実際、ワーグナーに心酔する人々を多く形成しました。その辺もなんというか不穏。

ワーグナーには、どうもこういう話がつきまといます。

そういう意味では、ドラマ的な作曲家とも言えます。彼にまつわるエピソードが多くあり、興味をそそります。ワーグナーの楽曲を聴くときには、彼に対しての個人的な感情を一度わきにおいて対峙していき、何が自分のなかに湧くのか、見つめてみたいと思っています。

この章に関しては私見が多かったですな!失礼。

 

 

参照

※1:Richard Wagner on wikipedia

※2:地獄の黙示録 on Wikipedia