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2020/03/18
【良いモノ・アーカイブ】№61 Maurice Ravel(モーリス・ラヴェル)_音楽
筆者:大田忍

(出典:Maurice Ravel on wikipedia

ボレロで有名なフランス人のモーリス・ラヴェルとはどんな作曲家なのか。

モーリス・ラヴェルについての「へー、そうだったの!?」3選

1.モーリス・ラヴェルの時代

ラヴェルは、1875年生まれ。1937年に62歳で亡くなっています。ドビュッシー同様自身では「印象主義」のつもりはないものの印象主義の作家として分類されることが多い。が、古典的な形式に立脚しています。それでもエリック・サティなどにもみる反復、音数の全体的なシンプルさに、サティやドビュッシーに似たものを感じます。今のところ。

ちなみにラヴェルが生まれたの1875年は、日本では明治8年。

 

中世西洋音楽

6世紀から15世紀にかけての音楽。超ざっくり!

 

ルネッサンス音楽

15世紀から16世紀にかけての音楽の総称で、Early music(初期音楽)とも呼ばれています。このあたりから音楽らしくなってきた、という認識があるためです。

 

バロック音楽

16世紀から17世紀にかけての音楽。時代としては、絶対王政の時代と大きくかぶっています。「バロック(baroque)」は、ポルトガル語の「いびつな真珠」を意味するbaroccoが語源。「過剰な装飾」という批判の意味を込めた建築用語でした。

 

(文学)ウィリアム・シェイクスピア 1564–1616 (イングランド王国)

アントニオ・ルーチョ・ヴィヴァルディ  1678–1741(ヴェネツィア共和国)

ヨハン・ゼバスティアン・バッハ  1685–1750(神聖ローマ帝国)

古典派音楽

1730年代から1820年代までの、過剰な装飾と言われたバロック音楽から一転、宗教や感情より、悟性、理性を尊重した啓蒙主義を背景とした音楽。

 

フランツ・ヨーゼフ・ハイドン 1732–1809年(神聖ローマ帝国)

(文学)ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ 1749–1832(帝国自由都市フランクフルト)

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト 1756–1791(神聖ローマ帝国)

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン 1770–1827(神聖ローマ帝国)

 

 

ロマン派音楽

19世紀の音楽。「やっぱ理性にばっかとらわれず、感情や直感を大事にしたってよくね?」というのがロマン派主義の考えで、それを反映した音楽。ベートーヴェンはその先駆けと言われて、彼以外は、シューベルトが初期ロマン派音楽、シューマン、メンデルスゾーン、ショパンなどが盛期ロマン派音楽に含まれます。後期ロマン派音楽には、フランツ・リスト、ワーグナー、ブラームスなど。

フェーリクス・メンデルスゾーン 1809–1847(自由都市ハンブルク)

フランツ・リスト 1811–1886(オーストリア帝国)

リヒャルト・ワーグナー 1813–1883(ザクセン王国ライプツィヒ)

ヨハネス・ブラームス 1833–1897(自由ハンザ都市)

ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー 1840–1893(ロシア帝国)

 

印象主義音楽

だいたいいつも前時代、または主流となった音楽への反動として新しい音楽のムーブメントが始まるのですが、印象主義音楽(本人たちはそう呼ばれたくない場合もありました)のロマン派への反動として形成された音楽です。ロマン派が激しく情緒的で物語の描写の性格があったのに対して、印象主義は、雰囲気の表現(?)に重きをおいた音楽様式だと言われています。聴いていると「静かな感情の漏れ」という気配、というのが私見です。有名なのがクロード・ドビュッシー。

中世西洋音楽やバロック音楽の様式に影響を受け、長調と短調をぼかしたり、不協和音を多用したりし、また簡潔な形式に偏重した音楽様式です。※1

 

クロード・アシル・ドビュッシー 1862–1918(フランス帝国)

エリック・アルフレッド・レスリ・サティ 1866–1925(フランス帝国)

モーリス・ラヴェル 1875–1937(フランス共和国)

 

 

2.モーリス・ラヴェルの作品

『ボレロ』が有名ですが、それ以外にどんな曲があるのでしょう。ラヴェルは、どんな作曲家たちの影響を受けたのかと言うと、ジャズの語法があり、モーツァルトやフランソワ・クープランの影響を強く受けていると自身で語っています。またエリック・サティからも影響を受けていますが、何よりもエドヴァルド・グリーグについてこう明言しています。

「エドヴァルド・グリーグの影響を受けてない音符を書いたことがありません」(※1)

また「ピアノ協奏曲ト長調」については、モーツァルトとサン=サーンスがモデルとして役立ったと語っています。

 

「ピアノ協奏曲ト長調」(Le Concerto en sol majeur )

完成したのは1931年、ラヴェルが56歳のとき。

 

 

『左手のためのピアノ協奏曲』(Le Concerto pour la main gauche en ré majeur)

ラヴェルが55歳の1930年に完成。第一次世界大戦で右手を失ったピアニスト、パウル・ウィトゲンシュタインに依頼を受けて作曲。ラヴェル初のピアノ協奏曲。

 

 

ピアノ作品『グロテスクなセレナード』 (Sérénade grotesque)

1893年のラヴェルが18歳ごろの作品。

 

 

 

『水の戯れ(Jeux D’Eau)』

1901年、ラヴェルが26歳のときの作品。

 

 

ソナチネ 嬰ヘ短調 M. 40(Sonatine)

1903年、ラヴェル28歳のときの作品。

 

 

『ボレロ(Boléro)』

1928年、ラヴェルが52歳のときの作品。

 

 

3.ラヴェルの生涯

後年は、1927年ごろから記憶障害などに悩まされるのに加え、タクシーに乗っているときに事故にあい悪化。だんだん文字も書けなくなり、

私の頭の中にはたくさんの音楽が豊かに流れている。それをもっとみんなに聴かせたいのに、もう一文字も曲が書けなくなってしまった」

と友人に泣きながら嘆いたと言います。

※しかしわたしは、彼の頭の中で流れる音楽の豊かさを素敵だとも感じます。

 

生涯独身でした。

42歳のとき、最愛の母を76歳でなくしています。以来、創作意欲は減っていきます。

その前に1914年に勃発した第一次世界大戦のために、トラックの輸送兵として戦争に参加します。そのさなかに腹膜炎になり、手術を受けるもその傷は終生回復しませんでした。ヴェルレーヌほどではないにしろ、少しずつ不幸になっていくような気配のある人生です。しかし、それでも『ボレロ』などの名曲を生み出しています。

 

 

 

参照

※1:モーリス・ラヴェル on wikipedia

※2: