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2020/03/20
【良いモノ・アーカイブ】№63 Frédéric Chopin(フレデリック・ショパン)_音楽
筆者:大田忍

(出典:1835年Portrait of Frédéric Chopin マリア・ヴォジンスカ画

ポーランドのピアニスト、作曲家のフレデリック・ショパン。クラシック音楽の流れとしては、前期ロマン派。ショパンが作曲した曲は、ほとんどピアノ独奏曲だったので「ピアノの詩人(The poet of the piano)」と呼ばれるとか。

ポーランドの紙幣に肖像画が使われていたことがあります。ポーランドを愛し、ポーランドに愛され続けている作曲家でもあります。

 

そんなショパンとは、どんな人物なのか、またその作品にはどのようなものがあるのか見ていきましょう。

 

フレデリック・ショパンについての「へー、そうだったの!?」4選

1.生きた時代は、メンデルスゾーンとだいたい同じ19世紀の前半から真ん中くらいまで

フレデリック・ショパンが生まれたのは1810年または1809年。ドイツの作曲家、フェーリックス・メンデルスゾーンが1809年なのでほとんど同じ頃に生まれ、だいたい同じ頃に亡くなっています。ショパンが、1849年。メンデルスゾーンが1847年。ふたりとも夭折。

ショパンが生まれた頃、日本の為政は、徳川家斉によってなされていました。アメリカは代4大統領のジェームズ・マディスンの時代でした。時代は、アメリカでフルトンが蒸気船を発明したのが1807年です。そんな時代です。

 

中世西洋音楽

6世紀から15世紀にかけての音楽。超ざっくり!

 

ルネッサンス音楽

15世紀から16世紀にかけての音楽の総称で、Early music(初期音楽)とも呼ばれています。このあたりから音楽らしくなってきた、という認識があるためです。

 

バロック音楽

16世紀から17世紀にかけての音楽。時代としては、絶対王政の時代と大きくかぶっています。「バロック(baroque)」は、ポルトガル語の「いびつな真珠」を意味するbaroccoが語源。「過剰な装飾」という批判の意味を込めた建築用語でした。

 

(文学)ウィリアム・シェイクスピア 1564–1616 (イングランド王国)

アントニオ・ルーチョ・ヴィヴァルディ  1678–1741(ヴェネツィア共和国)

ヨハン・ゼバスティアン・バッハ  1685–1750(神聖ローマ帝国)

古典派音楽

1730年代から1820年代までの、過剰な装飾と言われたバロック音楽から一転、宗教や感情より、悟性、理性を尊重した啓蒙主義を背景とした音楽。

 

フランツ・ヨーゼフ・ハイドン 1732–1809年(神聖ローマ帝国)

(文学)ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ 1749–1832(帝国自由都市フランクフルト)

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト 1756–1791(神聖ローマ帝国)

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン 1770–1827(神聖ローマ帝国)

 

 

ロマン派音楽

19世紀の音楽。「やっぱ理性にばっかとらわれず、感情や直感を大事にしたってよくね?」というのがロマン派主義の考えで、それを反映した音楽。ベートーヴェンはその先駆けと言われて、彼以外は、シューベルトが初期ロマン派音楽、シューマン、メンデルスゾーンが盛期ロマン派音楽に含まれます。後期ロマン派音楽には、フランツ・リスト、ワーグナー、ブラームスなど。

フェーリクス・メンデルスゾーン 1809–1847(自由都市ハンブルク)

フレデリック・ショパン 1810–1849(ワルシャワ公国)

フランツ・リスト 1811–1886(オーストリア帝国)

リヒャルト・ワーグナー 1813–1883(ザクセン王国ライプツィヒ)

ヨハネス・ブラームス 1833–1897(自由ハンザ都市)

ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー 1840–1893(ロシア帝国)

 

印象主義音楽

だいたいいつも前時代、または主流となった音楽への反動として新しい音楽のムーブメントが始まるのですが、印象主義音楽(本人たちはそう呼ばれたくない場合もありました)のロマン派への反動として形成された音楽です。ロマン派が激しく情緒的で物語の描写の性格があったのに対して、印象主義は、雰囲気の表現(?)に重きをおいた音楽様式だと言われています。聴いていると「静かな感情の漏れ」という気配、というのが私見です。有名なのがクロード・ドビュッシー。

中世西洋音楽やバロック音楽の様式に影響を受け、長調と短調をぼかしたり、不協和音を多用したりし、また簡潔な形式に偏重した音楽様式です。※1

 

クロード・アシル・ドビュッシー 1862–1918(フランス帝国)

エリック・アルフレッド・レスリ・サティ 1866–1925(フランス帝国)

モーリス・ラヴェル 1875–1937(フランス共和国)

 

 

2.ピアノっていつからあるの?

1709年。

バッハが24歳の年です。イタリアのクリストフォリ(Bartolomeo Cristofori)(1655–1731年)の発明です。

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クリストフォリ
(引用:We the italians Great Italians of the Past: Bartolomeo Cristofori)

 

チェンバロの音が強弱に乏しく、爪で弦をはじいて鳴らすのではなく、ハンマーを使って弦を打って鳴らすピアノのメカニズムをクリストフォリが1709年に発明しました。その楽器には、クラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ(※1)。これが、短くなって「ピアノ」になりました。彼の発明をドイツのオルガン製作者ゴットフリート・ジルバーマン(Gottfried Silbermann)が引き継ぎ改良を加えていきました。フリードリッヒ大王へフォルテピアノを献呈し、それをバッハ王の御前で演奏しました。(1747年)バッハは、ジルバーマンのフォルテピアノを弾いた後「高音域が貧弱、タッチが重い」と指摘し、ジルバーマンは改良を加えて、バッハから好評を得ました。※2

フレデリック・ショパンは、ワルシャワからパリに移り住んで以来、フランスのピアノ製作会社であるプレイエル製のピアノを終生使い続けました。

プレイエル公式ウェブサイト

 

ショパンのピアノ

 

 

3.ポーランドってどこ?ワルシャワってどこ?

ワルシャワはこんな街です。

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(引用:スカイチケット「復元された世界文化遺産の都市。ワルシャワのおすすめ観光スポット33選」

 

場所はここ。

(Goolge Map)

ワルシャワは、ポーランドの首都。

ポーランドの人口は2017年現在、3842万人。

言語はポーランド語。

第二次世界大戦でドイツナチスとソビエト連邦に侵略されて、国土が分割されたりと大変。独立は第一次世界大戦後にロシア帝国から。1918年。

 

3.ショパンの作品

ショパンと言えば、ピアノ独奏曲が多いですが、バレエ曲や歌曲もあります。

 

『レ・シルフィード(Les Sylphides)』

ショパンのピアノ曲を管弦楽に編曲し、バレエ音楽にしたバレエ作品。

 

『マズルカ』

マズルカ(ポーランド語: mazurek)は、4分の3拍子を基本とする特徴的なリズムを持つポーランドの民族舞踊の形式。

 

 

『夜想曲』(第1番〜第3番)

1830(20歳)–1832年(22歳)にかけて作曲。「夜想曲(Nocturne)」とは、夜の情緒を連想させる曲で、1782年生まれのアイルランドの作曲家、ピアニストのジョン・フィールド(John Field)が創始しました。

 

 

英雄ポロネーズLa Polonaise héroïque)』

1842年(32歳)のとき作曲。ポロネーズ第6番変イ長調 作品53。ポロネーズとは、フランス語で「ポーランド風」という意味で、ダンスのための形式で、舞曲。テンポがゆっくりな4分の3拍子で、もとはポーランドの民族舞踊でしたが、一つの様式となってヨーロッパで流行しました。

 

 

『ピアノソナタ第2番 変ロ短調 作品35

1839年(33歳)のとき作曲。第3楽章の葬送行進曲が有名。

 

 

 

4.ショパンの最後

ショパンの音楽的に恵まれた環境でそだったこと、友人関係は良好で、病弱だったのにとても明るい性格だったこと、作家のジョルジュ・サンドとの馴れ初めなども語りたいが、時間の関係で今は端折ります。

病弱だったこともあり、39歳(または40歳)という若さで亡くなるショパン。親しい人々が見守るなら、死の間際にショパンが書き記したことば。

Comme cette terre m’étouffera, je vous conjure de faire ouvrir mon corps pour [que] je ne sois pas enterré vif.(土に押しつぶされるから埋葬しないで欲しい。生き埋めになりたくないんだ。)

 

 

(※3)

 

参照

※1:宮地楽器ウェブサイト「ピアノの魅力

※2: ゴットフリート・ジルバーマン on Wikipedia

※3:フレデリック・ショパン on Wikipedia