BRANDING TAILOR

BLOG

2020/03/23
【良いモノ・アーカイブ】№64 Edvard Grieg(エドヴァルド・グリーグ)_音楽
筆者:大田忍

(引用:By Eilif Peterssen – Unknown source, Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=679818)

ノルウェーの作曲家。モーリス・ラヴェルをして「エドヴァルド・グリーグの影響を受けてない音符を書いたことがありません」と言わしめています。(※1)

その名を聞いたことがないと思われる方でも、おそらくグリーグの曲は何度も耳にしていると思います。

そんなエドヴァルド・グリーグの

「えーそうだったの?」5選

 

ところでのちほどエドヴァルド・グリーグが作曲した劇付随音楽を紹介するのですが、映画のBGMにクラッシク音楽がよく使われるのは、元来、劇中によく劇付随音楽として演奏されてきたという歴史的な流れがあるからなんですね。『トムとジェリー』も思い出しますね。ほとんどオーケストラでしたね。

 

1.生まれたのは1843年。ブラームスが11歳、ワーグナーが32歳のとき

グリーグが生まれたとき、日本は徳川家慶が12代目征夷大将軍。彼が生まれた10年後にペリーが浦賀沖に来航しててんやわんやになっています。そんな時代。アメリカは、ジェームス・ノックス・ポークが第11代大統領に1845年に就任しています。ちなみにリンカーンが大統領に就任するのは1861年です。グリーグが生まれてから20年後くらいですね。

グリーグをロマン派のカテゴリーに記していますが、彼は正確には「ロマン派時代の作曲家」であり、「ロマン派」ではなく、あえて派に含めて捉えるなら「国民楽派」。国民楽派とは、19世紀中頃から20世紀にかけて、民族主義的な音楽をつくった作曲家たちを指します。ロシアのミハイル・グリンカモデスト・ムソルグスキー、チェコのアントニン・ドボルザークなども。

 

中世西洋音楽

6世紀から15世紀にかけての音楽。超ざっくり!

 

ルネッサンス音楽

15世紀から16世紀にかけての音楽の総称で、Early music(初期音楽)とも呼ばれています。このあたりから音楽らしくなってきた、という認識があるためです。

 

バロック音楽

16世紀から17世紀にかけての音楽。時代としては、絶対王政の時代と大きくかぶっています。「バロック(baroque)」は、ポルトガル語の「いびつな真珠」を意味するbaroccoが語源。「過剰な装飾」という批判の意味を込めた建築用語でした。

 

(文学)ウィリアム・シェイクスピア 1564–1616 (イングランド王国)

アントニオ・ルーチョ・ヴィヴァルディ  1678–1741(ヴェネツィア共和国)

ヨハン・ゼバスティアン・バッハ  1685–1750(神聖ローマ帝国)

古典派音楽

1730年代から1820年代までの、過剰な装飾と言われたバロック音楽から一転、宗教や感情より、悟性、理性を尊重した啓蒙主義を背景とした音楽。

 

フランツ・ヨーゼフ・ハイドン 1732–1809年(神聖ローマ帝国)

(文学)ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ 1749–1832(帝国自由都市フランクフルト)

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト 1756–1791(神聖ローマ帝国)

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン 1770–1827(神聖ローマ帝国)

 

 

ロマン派音楽

19世紀の音楽。「やっぱ理性にばっかとらわれず、感情や直感を大事にしたってよくね?」というのがロマン派主義の考えで、それを反映した音楽。ベートーヴェンはその先駆けと言われて、彼以外は、シューベルトが初期ロマン派音楽、シューマン、メンデルスゾーンが盛期ロマン派音楽に含まれます。後期ロマン派音楽には、フランツ・リスト、ワーグナー、ブラームスなど。

フェーリクス・メンデルスゾーン 1809–1847(自由都市ハンブルク)

フレデリック・ショパン 1810–1849(ワルシャワ公国)

フランツ・リスト 1811–1886(オーストリア帝国)

リヒャルト・ワーグナー 1813–1883(ザクセン王国ライプツィヒ)

ヨハネス・ブラームス 1833–1897(自由ハンザ都市)

ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー 1840–1893(ロシア帝国)

エドヴァルド・グリーグ 1843–1907(スウェーデン)

 

 

印象主義音楽

だいたいいつも前時代、または主流となった音楽への反動として新しい音楽のムーブメントが始まるのですが、印象主義音楽(本人たちはそう呼ばれたくない場合もありました)のロマン派への反動として形成された音楽です。ロマン派が激しく情緒的で物語の描写の性格があったのに対して、印象主義は、雰囲気の表現(?)に重きをおいた音楽様式だと言われています。聴いていると「静かな感情の漏れ」という気配、というのが私見です。有名なのがクロード・ドビュッシー。

中世西洋音楽やバロック音楽の様式に影響を受け、長調と短調をぼかしたり、不協和音を多用したりし、また簡潔な形式に偏重した音楽様式です。※1

 

クロード・アシル・ドビュッシー 1862–1918(フランス帝国)

エリック・アルフレッド・レスリ・サティ 1866–1925(フランス帝国)

モーリス・ラヴェル 1875–1937(フランス共和国)

 

 

2.エドヴァルド・グリーグの有名な曲

『ペール・ギュント』エドヴァルド・グリーグ31歳の1867年。

 

『ペール・ギュント』とは、ノルウェーの劇作家であり、詩人のヘンリック・イプセン(Henrik Johan Ibsen)による戯曲。

ヘンリック・イプセンとはこんな方。

Schaarwächter Henrik Ibsen cropped.jpg

Wikipediaより)

上記の組曲は、「朝の気分」から始まり「オーゼの死」へと続きます。この「朝」が有名です。

ペール・ギュントとは、どうしようもない夢見がちな豪農の息子、ペール・ギュントのめちゃくちゃな半生の物語。かつての恋人を結婚式から奪取するも、飽きたら捨てて、トロルという妖精と結婚思想になり逃げ、またこんど純情な女性と恋に落ちるも、その彼女をまたせたまま、旅に出る。死が近くなったころ、ボタン職人に出会うが、ボタン職人は、大悪党でもすごい善人でもない中庸な人間をボタンに溶かし込む存在だった。ペール・ギュントは、自分が中庸ではないと証明しようとするもうまく行かない。最後に放置して旅にでた純情な女性の歌う子守唄を聴きながら死ぬ。

バレエにもなっています。

 

こちらも有名です。

『ピアノ協奏曲イ短調 作品16』

1868年、エドヴァルド・グリーグが25歳のときに作曲したピアノ協奏曲。

よくドラマでも使われていましたが、本来、冒頭のピアノのフレーズは、フィヨルドの滝が注ぐ流れを表現したものです。

 

 

3.以前のノルウェーの紙幣になっていた

旧500クローネに肖像が載っていました。

Image result for edvard grieg bill

(引用:Leftover currency 500 Norwegian Kroner banknote (Edvard Grieg))

 

 

4.かわいい人物像

エドヴァルド・グリーグは、たいへん小柄だったそうでs、銅像はこんな感じ。

ノルウェーのベルゲンにある銅像
(引用:日本著作権法46条/米国フェアユース, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?curid=353271)

 

グリーグは、生涯、手のひらにのるほどの小さなカエルの置物やコブタのぬいぐるみを大切にしていて、寝るときも一緒だったとか。演奏会のときも緊張しないようにポケットに忍ばせたカエルの置物を握りしめていたそうです。

 

カエルのおきものはこちらのサイトで観ることができます。

 

 

5.ノルウェーはグリーグ存命中にスウェーデンから独立

まずグリーグの生地であり、死地でもあるノルウェーのベルゲン(Bergen,)という街はこんな場所。人口は2011年の時点で26.5万人。

(Google map Bergen)

 

ノルウェー王家は、1387年にペストにより途絶えてしまい、以降デンマークの配下になります。1814年にスウェーデンに引き渡され、スウェーデン=ノルウェーの同君連合が形成されます。

1905年になり、独立しよういう機運が高まり、国民投票を経て独立を宣言。

スウェーデン政府は反発するも、スウェーデン国王でありノルウェー国王であったオスカル2世や社民党政府の説得により、独立を認めることになりました。

現在、EUには国民投票で2度否決したため加盟せず、EFTA(欧州自由貿易連合)への加盟にとどまっています。(※2)

 

 

 

 

 

 

参照

※1:モーリス・ラヴェル on Wikipedia

※2:ノルウェー on Wikipedia