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2020/03/26
【良いモノ・アーカイブ】№67 Charles Camille Saint-Saëns(カミーユ・サン=サーンス)_音楽
筆者:大田忍

(引用:By Franz Hanfstaengl – Self-scanned, Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=6650438)

1821年生まれのフランスの作曲家、ピアニスト。厳密で辛辣で規則正しく、意志の強い方。

カミーユ・サン=サーンスの「えー、そうだったの?」3選

1.1821年フランス生まれで86歳と長い生きだったサン=サーンス

長生き!ワーグナーが70歳、ブラームスが63歳、エドヴァルド・グリーグが62歳とモーツァルトやショパンらに比べると長生きな方ですが、サン=サーンスは更に長生き。

サン=サーンスが生まれた頃のアメリカの大統領は、民主党のアンドリュー・ジャクソン。

 

中世西洋音楽

6世紀から15世紀にかけての音楽。超ざっくり!

 

ルネッサンス音楽

15世紀から16世紀にかけての音楽の総称で、Early music(初期音楽)とも呼ばれています。このあたりから音楽らしくなってきた、という認識があるためです。

 

バロック音楽

16世紀から17世紀にかけての音楽。時代としては、絶対王政の時代と大きくかぶっています。「バロック(baroque)」は、ポルトガル語の「いびつな真珠」を意味するbaroccoが語源。「過剰な装飾」という批判の意味を込めた建築用語でした。

 

(文学)ウィリアム・シェイクスピア 1564–1616 (イングランド王国)

アントニオ・ルーチョ・ヴィヴァルディ  1678–1741(ヴェネツィア共和国)

ヨハン・ゼバスティアン・バッハ  1685–1750(神聖ローマ帝国)

古典派音楽

1730年代から1820年代までの、過剰な装飾と言われたバロック音楽から一転、宗教や感情より、悟性、理性を尊重した啓蒙主義を背景とした音楽。

 

フランツ・ヨーゼフ・ハイドン 1732–1809年(神聖ローマ帝国)

(文学)ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ 1749–1832(帝国自由都市フランクフルト)

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト 1756–1791(神聖ローマ帝国)

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン 1770–1827(神聖ローマ帝国)

 

 

ロマン派音楽

19世紀の音楽。「やっぱ理性にばっかとらわれず、感情や直感を大事にしたってよくね?」というのがロマン派主義の考えで、それを反映した音楽。ベートーヴェンはその先駆けと言われて、彼以外は、シューベルトが初期ロマン派音楽、シューマン、メンデルスゾーンが盛期ロマン派音楽に含まれます。後期ロマン派音楽には、フランツ・リスト、ワーグナー、ブラームスなど。

フェーリクス・メンデルスゾーン 1809–1847(自由都市ハンブルク)

フレデリック・ショパン 1810–1849(ワルシャワ公国)

フランツ・リスト 1811–1886(オーストリア帝国)

リヒャルト・ワーグナー 1813–1883(ザクセン王国ライプツィヒ)

ヨハネス・ブラームス 1833–1897(自由ハンザ都市)

カミーユ・サン=サーンス 1835–1921(フランス王国)※ロマン派というわけではない。

ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー 1840–1893(ロシア帝国)

エドヴァルド・グリーグ 1843–1907(スウェーデン)

 

 

印象主義音楽

だいたいいつも前時代、または主流となった音楽への反動として新しい音楽のムーブメントが始まるのですが、印象主義音楽(本人たちはそう呼ばれたくない場合もありました)のロマン派への反動として形成された音楽です。ロマン派が激しく情緒的で物語の描写の性格があったのに対して、印象主義は、雰囲気の表現(?)に重きをおいた音楽様式だと言われています。聴いていると「静かな感情の漏れ」という気配、というのが私見です。有名なのがクロード・ドビュッシー。中世西洋音楽やバロック音楽の様式に影響を受け、長調と短調をぼかしたり、不協和音を多用したりし、また簡潔な形式に偏重した音楽様式です。※1

 

クロード・アシル・ドビュッシー 1862–1918(フランス帝国)

エリック・アルフレッド・レスリ・サティ 1866–1925(フランス帝国)

モーリス・ラヴェル 1875–1937(フランス共和国)

 

 

2.特定の流派には属さないサン=サーンス

サン=サーンスは、1885年(50歳時)に出版の著書『Harmonie et Mélodie(和声と旋律)』で、自らをこう語っています。

「私が愛するのはバッハでも、ベートーヴェンでも、ヴァーグナーでもない。(中略)芸術なのだ。私は折衷主義者である。それはおそらく大きな欠点だが、私にはそれをあらためることは不可能である。つまり人はその天性を作り直すことはできないからだ。その上、私は自由を熱烈に愛しており、賛嘆を強いられるのに耐えることができない」※1

 

3.交響詩をフランスに持ち込んだひとり

交響詩(Symphonic poem)とは、フランツ・リストの回で解説しましたが、標題音楽。標題音楽とは、音楽以外の文学、絵画などの内容と結び付けられた音楽です。※3

ハンガリーのフランツ・リストが確立した交響詩という音楽形式を、フランスに持ち込んだ一人が、サン=サーンス。

交響詩のみならず、バッハ好きなのもあってかバロック音楽も通じており、彼の作風は広い知識をベースに広く作られています。

 

4.サン=サーンスという人

作曲家に多いですが、サン=サーンスも神童と呼ばれる天才。2歳でピアノを弾き、3歳で作曲したと言われます(笑)。ワーグナーを支持するも、ワグネリズムと呼ばれる、ワーグナー信奉には否定的で、それ故に批判的に扱われることもありましたが、1883年(48歳)のオペラ『ヘンリー八世』で大成功し、以来評価が高まる。1981年にアルジェリアで死去しますが、葬儀は国葬で執り行われました。(※1)

音楽に限らず、文筆家としも活躍。幼少時よりフランス古典、ラテン語、天文学、生物学、数学から絵画まで興味を広く持っていました。

旅行好きで、死地のアルジェリアほか、北アフリカ、スペイン、北欧、南北アメリカなどを訪れています。旅行の影響で、『アルジェリア組曲』『ピアノ協奏曲第5番「エジプト風」』などの異国風の音楽も作曲してます。

言動は、辛辣で有名でした。

1875年(40歳)に、弟子の妹、マリ=ロール=エミリ・トリュフォ(Marie-Laure-Emile Truffot)と結婚し、2児をもうけるも3年後に相次いで子どもたちを亡くし、1881年(46歳)には離婚。離婚後は母と暮らします。1888年(53歳)に母が死去。以来は、定住地を持たずに、旅行して過ごしています。しかし、規則正しい創作活動を続けていました。

 

 

5.クロード・サン=サーンスの主な曲

『死の舞踏(Danse macabre)』

1874年(39歳)に管弦楽曲として完成した交響詩。

フランスの詩人、アンリ・カザリス(Henri Cazalis)の詩にインスピレーションを得て作曲しています。詩の内容は、午前零時をすぎると骸骨が踊り始め、激しさをましますが、夜明けの雄鶏の鳴き声が響くと、骸骨は墓に逃げ帰り、静寂が戻るというもの。交響詩は、その様子を表現しています。

以下、その詩。

 

Zig, zig, zig, Death in cadence,
Striking with his heel a tomb,
Death at midnight plays a dance-tune,
Zig, zig, zig, on his violin.
The winter wind blows and the night is dark;
Moans are heard in the linden-trees.
Through the gloom, white skeletons pass,
Running and leaping in their shrouds.
Zig, zig, zig, each one is frisking.
The bones of the dancers are heard to crack-
But hist! of a sudden they quit the round,
They push forward, they fly; the cock has crowed.

ジグ、ジグ、ジグ、墓石の上
踵で拍子を取りながら
真夜中に死神が奏でるは舞踏の調べ
ジグ、ジグ、ジグ、ヴァイオリンで

冬の風は吹きすさび、夜は深い
菩提樹から漏れる呻き声
青白い骸骨が闇から舞い出で
屍衣を纏いて跳ね回る

ジグ、ジグ、ジグ、体を捩らせ
踊る者どもの骨がかちゃかちゃと擦れ合う音が聞こえよう

静かに! 突然踊りは止み、押しあいへしあい逃げていく
暁を告げる鶏が鳴いたのだ

※1 ※2

 

聴いていただくとわかりますが、随分と壮絶に骸骨は踊っています。

 

 

 

『動物の謝肉祭(Le carnaval des animaux)』の水族館

1886年(51歳)に完成。

 

『アルジェリア組曲(Suite algérienne )』

1880年(45歳)に完成。

 

『ピアノ協奏曲第5番ヘ長調』

1896年(61歳)、サン=サーンスが初めて聴衆の前でピアノを弾いた11歳のときから50年目を祝うコンサートで初演。

 

 

 

参照

※1:クロード・サン=サーンス on Wikipedia(海老沢敏『作曲家の肖像』音楽之友社)

※2:Henri Cazalis on Wikipedia

※3:Atelier Eren 「交響詩ってなんなの?その特徴と代表作」