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2020/04/19
【良いモノ・アーカイブ】№71 Robert Schumann(ロベルト・シューマン)_音楽
筆者:大田忍

(引用:Josef Kriehuber – This file has been extracted from another file: Robert Schumann Litho.JPG

ドイツ、ロマン派を代表する作曲家。古典派よりのベートーヴェンやシューベルトのロマン的な後継者として位置づけられ、ピアノ曲と歌曲で高く評価されています。

ロベルト・シューマン「えー、そうだったの?」4選

ところで、フルネームで覚えておくと便利なのが、アマゾン・エコーにコマンドして音楽を流すときにフルネームで伝えると正確に再生してくれることです。すごくどうでも良いかも知れませんが。

1.メンデルスゾーン、ショパン、リスト、ワーグナーとだいたい同じ時期に生まれたシューマン

ロベルト・シューマンは1810年生まれで、ショパンも同じ年に生まれていて、メンデルスゾーンのが1年前の1809年生まれで、フランツ・リストが1年後の1811年生まれ、ワーグナーが2年後の1813年に生まれています。この5人はだいたい同じ時期に誕生したわけです。

ちなみに1810年のアメリカ大統領は、ジェームズ・マディスン。日本は江戸時代で、徳川家斉が将軍をしている時代です。ヨーロッパでは1804年にナポレオン・ボナパルトが皇帝に即位しています。

 

中世西洋音楽

6世紀から15世紀にかけての音楽。超ざっくり!

 

ルネッサンス音楽

15世紀から16世紀にかけての音楽の総称で、Early music(初期音楽)とも呼ばれています。このあたりから音楽らしくなってきた、という認識があるためです。

 

バロック音楽

16世紀から17世紀にかけての音楽。時代としては、絶対王政の時代と大きくかぶっています。「バロック(baroque)」は、ポルトガル語の「いびつな真珠」を意味するbaroccoが語源。「過剰な装飾」という批判の意味を込めた建築用語でした。

 

(文学)ウィリアム・シェイクスピア 1564–1616 (イングランド王国)

アントニオ・ルーチョ・ヴィヴァルディ  1678–1741(ヴェネツィア共和国)

ヨハン・ゼバスティアン・バッハ  1685–1750(神聖ローマ帝国)

古典派音楽

1730年代から1820年代までの、過剰な装飾と言われたバロック音楽から一転、宗教や感情より、悟性、理性を尊重した啓蒙主義を背景とした音楽。

 

フランツ・ヨーゼフ・ハイドン 1732–1809年(神聖ローマ帝国)

(文学)ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ 1749–1832(帝国自由都市フランクフルト)

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト 1756–1791(神聖ローマ帝国)

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン 1770–1827(神聖ローマ帝国)

フランツ・シューベルト 1797–1828年 (神聖ローマ帝国)

 

ロマン派音楽

19世紀の音楽。「やっぱ理性にばっかとらわれず、感情や直感を大事にしたってよくね?」というのがロマン派主義の考えで、それを反映した音楽。ベートーヴェンはその先駆けと言われて、彼以外は、シューベルトが初期ロマン派音楽、シューマン、メンデルスゾーンが盛期ロマン派音楽に含まれます。後期ロマン派音楽には、フランツ・リスト、ワーグナー、ブラームスなど。

フェーリクス・メンデルスゾーン 1809–1847(自由都市ハンブルク)

ロベルト・シューマン 1810–1856年(プロイセン王国、ツヴィッカウ)

フレデリック・ショパン 1810–1849(ワルシャワ公国)

フランツ・リスト 1811–1886(オーストリア帝国)

リヒャルト・ワーグナー 1813–1883(ザクセン王国ライプツィヒ)

ヨハネス・ブラームス 1833–1897(自由ハンザ都市)

ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー 1840–1893(ロシア帝国)

エドヴァルド・グリーグ 1843–1907(スウェーデン)

 

ロマン派ではないですが

レオシュ・ヤナーチェク 1854年–1928年(チェコ、モラヴィア)

 

印象主義音楽

だいたいいつも前時代、または主流となった音楽への反動として新しい音楽のムーブメントが始まるのですが、印象主義音楽(本人たちはそう呼ばれたくない場合もありました)のロマン派への反動として形成された音楽です。ロマン派が激しく情緒的で物語の描写の性格があったのに対して、印象主義は、雰囲気の表現(?)に重きをおいた音楽様式だと言われています。聴いていると「静かな感情の漏れ」という気配、というのが私見です。有名なのがクロード・ドビュッシー。中世西洋音楽やバロック音楽の様式に影響を受け、長調と短調をぼかしたり、不協和音を多用したりし、また簡潔な形式に偏重した音楽様式です。

クロード・アシル・ドビュッシー 1862–1918(フランス帝国)

エリック・アルフレッド・レスリ・サティ 1866–1925(フランス帝国)

モーリス・ラヴェル 1875–1937(フランス共和国)

 

2.ロベルト・シューマンの死因

ロベルト・シューマンは、身体が何かと弱く、言語障害、痙攣、麻痺、めまい、視力減退、耳鳴りなどがありました。もう読むだけで気が滅入りそうななか良く作曲してきたと思います。遺伝的なもんだだったのか、家族も短命のかたが多く、姉のエミーリエは19歳のときにチフスで高熱の発作を起こして、川に投身自殺をしています。

1854年(44歳のとき)、シューマンは激しい耳の痛みに襲われています。いろいろな音が音楽に聞こえるといって苦しんでいました。精神的に極限状態にまでなり、病院に入るために身の回りの整理も行っていました。妻のクララと医者が語っている好きに、シューマンは家を抜け出し、ガウンとスリッパのまま橋からライン川に投身自殺を図りました。その2年後になくなりました。シューマンのさまざまな症状は梅毒の第二期の症状に該当すると、後年になって推測されています。

 

3.ブラームスと交友

シューマンがブラームスに会うのは、1853年、43歳の頃。このときブラームスは、20歳。シューマンの妻、クララは34歳。ブラームスがシューマンのうちを訪ねてきたときでした。ブラームスが弾くピアノに感動して「若き鷲」と呼びました。ブラームスは、クララに惹かれますが、シューマンとの関係を大切にして節度を持って接していました。

 

4.シューマンの曲

 

子供の情景 Kinderszenen

1838年、シューマンが28歳のときに作曲。作品番号、Op.15。

 

主題と変奏 変ホ長調 Thema mit Variationen in Es-Dur für Klavier

1854年、シューマンが44歳のときに作曲。ピアノ独奏のための変奏曲。シューマン最後の曲。

 

クライスレリアーナ Kreisleriana-Phantasien für das Pianoforte

1838年、シューマンが28歳のときに作曲。フレデリック・ショパンに献呈したもの。

 

 

 

 

交響曲第1番 変ロ長調『春』 Sinfonie Nr. 1 in B-Dur “Frühlingssinfonie”

1841年、シューマンが31歳のときに作曲した交響曲。メンデルスゾーンの指揮で同年初演されています。

 

交響曲第3番変ホ長調「ライン」Sinfonie Nr. 3 Es-Dur op. 97 “Rheinische”

1850年(40歳)に作曲。

私見

シューマンに関しては、楽曲はわたしには幾分印象派的な印象を受ける部分があり、それも含めて、全体的に切なさのようなものが通底しているように感じます。彼にとってライン川の存在が大きかったこともあり、彼の世界にはいつもこの川が流れていたのではないかと勝手に夢想します。

 

参照

※1 ロベルト・シューマン Wikipedia