フィンランドを訪れたときのビル・エヴァンス(1964年8月13日)
Seppo Heinonen / Lehtikuva – https://d3gg7gh6znnt6d.cloudfront.net/thumbnail/8440967.jpg, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=62430298による
生誕:1929年
死没:1980年
ビル・エヴァンスが薬物に手を出した契機は、兵役中だったらしい。
以来、薬物の影響で歯はボロボロになり、後年は歯を見せないようにしたり、顔のむくみなどを隠すためか髭を伸ばしたりしていたようです。
療養や治療を拒み、頑なにピアノに向かい続けていたそうで、そのあたり、少しだけスティーブ・ジョブズの晩年を思い出しました。
ワルツ・フォー・デビーの作詞者であり、エヴァンスの友人のジーン・リース(Gene Lees)は、エヴァンスの薬物に対する苦しみについて「歴史のなかでもっとも長い自殺だった(the longest suicide in history.)」と語っています。※1
ドビュッシーやモーリス・ラヴェルなどの印象派主義(本人たちは「印象派」とは使っていない)から影響を受けた和音(コード)が特徴。
アメリカ合衆国のベーシスト。ビル・エヴァンス・トリオの一員として1961年6月25日にヴィレッジヴァンガード(Village Vanguard)で行ったライブは、Sunday at The Village Vanguard、Waltz for Debbyと2枚のアルバムになっています。交通事故にあい、死去。享年25歳。
※ヴィレッジヴァンガード(Village Vanguard)は、ニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジにあるジャズクラブ。
エヴァンスの内縁の妻。親しくなったネネット・ザザーラ(Nenette Zazzara)と結婚するために1973年に別れ話を持ちかけるとエレインは地下鉄に投身自殺しました。「Hi Lili,HiLo」は、エレインに捧げた曲。ネネットとはその後結婚し、息子エヴァンが生まれています。
エヴァンスの兄。ピアニストだった兄のハリーも1979年に拳銃自殺しています。ハリーは統合失調症でした。『We Will Meet Again』は、ハリーに捧げた曲。
Waltz for Debby(ワルツ・フォー・デビイ)
1961年にヴィレッジヴァンガードで行ったライブを収録したアルバムが『Waltz for Debby』。タイトルになっているこの曲は、ビル・エヴァンスが1956年に作った曲。当時2歳だったエヴァンスの姪、デビイに捧げた曲。ドキュメンタリー映画『Time Remembered:Life & Music of Bill Evans』の中で、デビイ・エヴァンスさんは、「幼い頃、よく目の前で弾いてくれた」と語っています。
別れ話を持ちかけると投身自殺してしまった恋人、エレイン・シュルツへ捧げた曲。
1979年に拳銃自殺した兄ハリーに捧げた曲。
Bill Evans (piano), Tom Harrell (trumpet), Marc Johnson (bass), Joe LaBarbera (drums), Larry Schneider (tenor saxophone, soprano saxophone, alto flute)
わたしの個人的に好きな曲。ベースは、スコット・ラファロ。take 2よりtake 1が好きなんです。
最後にYoutube上に1966年のビル・エヴァンスのコペンハーゲンでのリハーサルの映像があったのでそちらも。
以下はまだわたし用のメモのようなものです。
以下のリストは、基本わたし用です。これから調べていきたいジャズマンたちをリストアップしています。