ジョニー・グリフィン 2007年
By Tom Beetz – https://www.flickr.com/photos/9967007@N07/6580952893, CC BY 2.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=19327636
ジョニー・グリフィンは、たとえば、スコット・ラファロのように楽器に多才で、最初はクラリネット、つぎにオーボエ、それからアルト・サックスを経て、ライオネル・ハンプトンの勧めでテナー・サックスを演奏するようになりました。
ジョニー・グリフィンは、アメリカのイリノイ州シカゴ生まれ。1928年に生まれ、2008年に死去。ミュージシャン、ジャズマンには、夭逝する人と長生きする人にまあまあ二分される気がしていますが、ジョニー・グリフィンは、長生きしたかたです。健やか!
マイルス・デイヴィスより2年あとに生まれて、マイルスの死去より17年長く生きています。
シカゴはここ。
Quoted from Google map
オレンジの街灯が有名な都市でもあります。
理由は背が小さいのに力強い演奏をするから(※1)。
1963年以降、つまり35歳になって以降は、ジョニー・グリフィンは海外に移住しています。1963年にフランスへ。1978年にはオランダへ移住。移住理由には、収入税や結婚の失敗、フリージャズに対してのアメリカの批判的な環境などがあったようです。
2008年、心臓発作によってフランスで死去。享年80歳。
いろいろ大変なことがあった人生のようでいたが、ジョニー・グリフィンは、死ぬまで不満も言わずに愚痴もこぼさず吹き続けました。「神がわたしに吹く才能を授けてくださる限り、吹き続ける」(as long as God has given me the gift to blow, I owe it to God to keep on blowing.)としばし口にしていたそうです(※1).
ドラマーのアート・ブレイキーやピアニストのセロニアス・モンクと共演。ピアニストのウィントン・ケリー(39歳で死去。早い)、ドラマーのマックス・ローチ、テナープレイヤーのジョン・コルトレーン、ハンク・モブレイ、トランペットのチェット・ベイカーとも共演。ハード・バップを形成したジャズマンのひとり。
1959年リバーサイドレーベルから出たアルバム「The Little Giant」に収録。ジョニー・グリフィンのリバーサイドから出している三枚目のアルバムです。
パーソネルは、
Johnny Griffin (テナー・サックス)
Blue Mitchell (トランペット)
Julian Priester (トロンボーン)
Wynton Kelly (ピアノ)
Sam Jones -(ベース)
Albert “Tootie” Heath(ドラム)
ブルー・ノート・レコーズから1957年に出したアルバム「A Blowin’ Session」に収録。
ジョニー・グリフィンがセロニアス・モンクに捧げて作曲した曲。ピアノはRonnie Matthews、ベースはRay Drummond、ドラムはKenny Washington。
A Night In Tunisia
ディジー・ガレスピーとともに。1971年。フランスでのライブ。
ディジー・ガレスピーについてはこちらで詳しく書いています。
【良いモノ・アーカイブ】№84 Dizzy Gillespie(ディジー・ガレスピー)_音楽
パーソネルは、ドラムがArt Taylor、ピアノがVince Benedetti。
以下はまだわたし用のメモのようなものです。
以下のリストは、基本わたし用です。これから調べていきたいジャズマンたちをリストアップしています。