By Nikolai Kuznetsov – Nikolai Dimitriyevich Kuznetsov’s (1850 – 1929), Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3722530
弊社の「良いモノ・アーカイブ」は、元来、「良いモノを知らない物は、良いモノを創造できない」という思想がベースにあります。モノでは、ありませんが、知ることで創造性を拡張してくれるであろうモノとして音楽もそこに含んでいます。
ということで今回は、
私(大田)は、個人的にはオーケストラよりもソナタを好むので、チャイコフスキーをそれほど好んで聞いてこなかったのですが、この良いモノ・アーカイブを発信していると何かと出現してくるのが、チャイコフスキーでした。
例えば、香水やアロマキャンドルのブランド、Diptyque(ディプティック)の商品に「ヴィグネ・トワレ」というお酢由来のトワレがあるのですが、これは創業者の3人がチャイコフスキーの家を訪れた際に、テーブルの上にヴィグネ・トワレがあったことがきっかけになってできたものでした。
またバカラを贔屓にしていたニコライ二世の皇帝時代とも歴史をともにしています。
ルイ・ロデレールのプレステージ・キュヴェである「クリスタル」が発注されたのもピョートル・チャイコフスキーの生涯と重なっています。発注したのはロシア皇帝、アレクサンドル二世。
というわけで、チャイコフスキーです。どんな方?どんな楽曲?その時代背景は? 主な作品は?ということを今回ご紹介していきます。
有名な楽曲は、
※以上3つ「三大バレエ」とも呼ばれる。
ピョートル・チャイコフスキーが完成させた最後の交響曲。初演後、チャイコフスキーにしては珍しく「わたしのすべての作品のなかで最高の出来栄えだ」と語っていました。
ロシア、ウラル地方に1840年に生まれる。この頃のロシア皇帝は、ニコライ一世(第11代)。ちなみにアメリカの大統領は、ジェームズ・ノックス・ポーク(第11代)。
幼少の頃から音楽的才能を示していたけれど、両親に法律学校に入学させられる。19歳で法務省に務める。
1861年 (ピョートル21歳)のとき、帝室ロシア音楽協会に入学。
1863年 法務省を辞めて音楽に専念する。
1866年 モスクワに引っ越して、ピョートルは、モスクワ音楽院で理論講師として招かれて、以降12年間、教鞭を取る(25歳から37歳まで)。
1865年 (ピョートル25歳)作品13、交響曲第一番『冬の日の幻想』初演。オペラ『地方長官』も完成させる。※『地方長官』はピョートルによりその後破棄され断片しか現存してない。
1875年 (35歳) 作品23、ピアノ協奏曲第一番を作曲。
1877年 結婚するも破局。モスクワ川で自殺を図るほど苦しむ。
1878年 モスクワ音楽院を辞めて10年間、フィレンツエ、パリ、ナポリなどを転々とする。
1881年 友人のニコライ・ルビンステインが死去。彼のためピアノ三重奏曲を作曲する。
1882年 ピアノ三重奏曲(作品50)を完成。「ある偉大な芸術家の思い出のために」と原稿に書く。
1885年 マンフレッド交響曲を完成させる。放浪をやめてモスクワ近郊のマイダノヴォ村に落ち着く。
1888年 作品64 交響曲第5番、作品66 バレエ『眠れる森の美女』を完成。
1891年 作品71 バレエ『くるみ割り人形』を完成。アメリカ、カーネギー・ホールのこけら落としに出演。
1893年 作品74 交響曲第6番『悲愴』を初演。その9日後に急死。死因は、コレラ。ちなみにピョートルの母、アレクサンドラも40歳のときにコレラに罹患してなくなっています。
ピョートルはゲイだったんじゃないか、という推測がされています。この時代では大変なことだったかもしれません。
アルバムのジャケットの影響もあるし、くるみ割り人形が年末によく演奏されるということもあって、ピョートル・チャイコフスキーの楽曲の背景には、がっつりとした雪景色が想起されます。
そして傷つきやすい精神世界らしき繊細さも感じるのですが、一方でそれをはねかすような情熱も感じます。最後の交響曲である『悲愴』については、その翻訳の是非が議論されており、ロシア語での「熱情」という意味なんじゃないかと言われたりもしています。自身は手紙でフランス語の「Pathétique(パテティーク)」と言葉を使っており、これはルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンのソナタ『悲愴』と同じです。ちなみに「Pathétique」の語源は、ギリシャ語の「Pathos(パトス)」で、これは「情念」とか「哀愁」を意味し、ペーソスとも読まれています。
外的要因で苦難に満ちたわけじゃないように見えるけれど、内的要因でずっと苦しみながら「でも生きるぞ!」という情念が彼の作品には、焚き火前にいるときに感じる熱のように感じます。
そんなわけで「雪降る森のなかで焚き火をしている情景」が、わたしにとってのチャイコフスキーのイメージです。これから夜が更けていくのか、開けていくのか、天気が悪くなっていくのかは定かではない、そんな頃合いの焚き火です。ピョートルさん、お疲れ様。偉大なあなたの楽曲をわたしはこれからちびちびと楽しんで頑張って生きていこうと思います。
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