(出典:日本公式サイト)
リチャードジノリは、ラッセルホブス同様、リチャード・ジノリさんによる創業、ではなく、カルロ・ジノリ侯爵(Carlo Ginori)の窯が、1896年にリチャード製陶社と合併して、「リチャード・ジノリ」になりました。
しかし2013年にグッチにより買収され、現在は「グッチリチャードジノリ(GRS S.r.l.)」になっています。
ところで、1735年といえば、イタリアはまだイタリアとして統合されていません。
イタリアが「イタリア王国」として統一国家になるのは1861年。そして第二次世界大戦後は、王制が廃止されて、共和制になり、現在は第二共和政になっています。ともかくイタリアは1861年にひとつにまとまるまでは、複数の国家がある状態でした。
そのひとつのトスカーナ大公国(まあまあ北のほう)のカルロ・ジノリ侯爵が、磁器窯を開業したのが始まり。カルロ・ジノリ侯爵は、鉱物学に造形が深く、マイセンなどに対抗すべく美しい陶磁器をイタリアでも作ろうしていました。
陶磁器の流れは、日本の徳川秀吉が朝鮮出兵から撤退する際に、多くの(数千人?)陶工を連れ帰り(ひどい話)、その後、日本でも陶磁器が、李参平らにより発展。やがて柿右衛門が絵柄を陶磁器に描くようになります。その美しさをヨーロッパに広めたのが東インド会社。東インド会社経由でヨーロッパに日本の陶磁器が広まり、それを契機にマイセンが始まります。
こんなふうにヨーロッパの陶磁器の発展の起源には、中国や日本の陶磁器があります。
1735年 トスカーナ大公国のカルロ・ジノリ侯爵が自領のどっちあに磁器窯を創業。
第1期 1735–1757年。カルロ・ジノリの時代。
1896年 リチャード製陶社と合併し、リチャードジノリになる。(統合後もリチャード製陶社は別々のマークを使っていたようです)。
リチャード製陶社のマーク(出典:BAGATTO antiques)
1956年 イタリア陶磁器会社と合併。イタリア最大の陶磁器ブランドになる。
2013年 経営が行き詰まっていたリチャードジノリ1735は、グッチ(Gicci)より再生計画を提出され、それを受理。買収額は、1,300万ユーロ(約16.6億円)。
経営に行き詰まっていた理由は、多額の負債に金融危機による経営悪化。同年フィレンツェ裁判所より破産宣告を受けていました。
ヴェッキオホワイト
(プレート 17cm)
「ヴェッキオ」とは、イタリア語で「古い」という意味。1759年代のバロック洋式を反映。
リチャード・ジノリの代表的なシリーズ。
イタリアンフルーツ
カップ&ソーサー
11,673円@Amazon
リチャード・ジノリの白地に、青紫のプラムを中心にフルーツ、花などを散らして描いたシリーズ。元来は1760年頃トスカーナ地方のある貴族が別荘で使用するために考案されたもの。柄は職人よって選ばれて描かれる余地があり、ものによって微妙に異なっています。
アンティックローズ
ティーカップ&ソーサー
10,943円@Amazon
カテーネ
ティーカップ&ソーサー
10,450円@楽天
イタリアの建築家、インダストリアル・デザイナーのジオ・オンティ(Gio Ponti)によって1926年にデザインされた図案。カテーネとは「鎖・絆」の意味。
オリエントエクスプレス
ペアコーヒーカップ&ソーサー
オリエント急行の車内で使われいる食器でブルーの車体と同じ色のデザインにVSOEのエンブレムも描かれています。
VSOEとは、Venice Simplon Orient-Expressの略。
オリエント急行のマーク。