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2020/01/06
【良いモノ・アーカイブ】№28 Claude Achille Debussy(ドビュッシー)_音楽
筆者:大田忍

※№27は、Chanelで書きかけのため、飛ばしてドビュッシーが№28に。

気難しいのに恋愛スキャンダルまみれ
フランスの作曲家、クロード・アシル・ドビュッシー

 

概要

19世紀末から20世紀初頭時代のフランスの作曲家。

「印象派(印象主義音楽)」と称されることも。印象主義音楽とは、20世紀初頭にフランスで興ったクラシック音楽の流派のひとつ。ロマン派音楽のような主観的表現を脱し、雰囲気の表現に重きをおいた音楽様式。

 

生涯

1862年 パリ、セーヌ川を一望できるサン=ジェルマン=アン=レーに生まれる。

1880年(18歳) ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(良いモノ・アーカイブ№17「チャイコフスキー」を参照)のパトロンだったナジェジダ・フォン・メック夫人(ロシアの資産家)の長期旅行にピアニストとして同伴。ドビュッシーは、その後、夫人の娘と恋愛関係に陥り、夫人は激怒してドビュッシーを解雇しています。『ボヘミア舞曲』 (Danse bohémienne)を作曲。チャイコフスキーは酷評。

1884年(22歳) ローマ大賞を受賞。ローマ大賞とは、フランス作曲家における登竜門のコンクールのひとつ。大賞を得るとフランス政府から奨学金付きの留学をする権利を得られる。ルイ14世によって創設されて1968年に廃止される。

1885年(23歳) 留学する権利を使ってローマに滞在。

1887年(25歳) パリに戻る。

1890年(28歳) 名前を「アシル=クロード」から「クロード=アシル」に変える。『ベルガマスク組曲』(Suite Bergamasque)を作曲。第3曲が「月の光」。ベルガマスク組曲は、ポール・ヴェルレーヌ(※2)の詩集『艶なる宴』(Fêtes galantes)に納められている詩「月の光」の

“Que vont charmant masques et bergamasques”
(現われたる艶やかな仮面喜劇者たちとベルガモの踊り子たちは)

という一節より。『夢想』(Rêverie)(ピアノ作品)を作曲。

1891年(29歳) 『2つのアラベスク』(Deux Arabesques)(ピアノ作品)を作曲。

1894年(32歳) 『牧神の午後への前奏曲』(Prélude à “L’après-midi d’un faune”)(管弦楽作品)を作曲。

1897年(35歳) 『夜想曲』(Nocturnes)、雲、祭、シレーヌを作曲。

1899年(37歳) リリー・テクシエと結婚。

1905年(43歳) 銀行家の妻、エンマ・バルダックと不倫。妻リリーは、コンコルド広場で胸を銃で撃ち、自殺未遂。離婚。エンマとの長女、クロード=エンマ(シュウシュウ)が誕生。交響詩『海』 (La Mer) を作曲。

1910年(48歳) 『前奏曲集 第1集』(ピアノ作品)を作曲。

1911年(49歳) 舞台音楽『遊戯』をロシア・バレエ団、バレエ・リュス(Ballets Russes)のために完成。

1914年(52歳) 第一次世界大戦が勃発。大腸がんを発病。

1918年(56歳) 死去。

 

ナジェジダ・フォン・メック

 

交響詩『海』(La Mer)のスコア表紙。葛飾北斎の木版画集『富嶽三十六景』(1835年)の『神奈川沖浪裏』の左半分の波の部分が表紙に用いられている。

 

葛飾北斎『神奈川沖浪裏』

 

 

まとめ

おもしろいのは、やはりドビュッシーが恋愛スキャンダルまみれだというところ。内向的で非社交的だと言われているのに。一方で楽曲は、どこか冷徹な目で観ているような静かさがあるように感じます。もともとはピアニストを目指していたドビュッシーですが、途中で挫折。作曲に専念していき、大成しています。

作曲は、伝統から外れた音階や自由な和声法などを用いており、その独特な技法は、強く後世に影響を及ぼしています。

ところで、Debussyと書いて「ドビュッシー」と読むのかしら?と思われる方もいるのではないでしょうか。

フランス語での発音は「ドュビシ」が近く、英語だと「デビュシー」が近いです。

破天荒な人生のドビュッシーですが、わたしは彼のピアノ作品がどれも好きで、聴いていると静かに形にならない感情がゆっくりと湖底より浮かんでいるような感覚を得ます。特にアラベスクのNo.1が好きです。

 

参考

クロード・ドビュッシー博物館

 

※1:カンタータ=独唱・重唱・合唱および器楽伴奏から成る大規模な声楽曲。交声曲。

※2:ポール・ヴェルレーヌ=Paul Marie Verrlaine (1844–1896)フランスの詩人。ステファヌ・マラルメ、アルチュール・ランボーらとともに「象徴派」と言われる。人生は破滅的で、それが故に「デカダンスの教祖」とも仰がれる。