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2021/03/09
【良いモノ 038】 超人生がドラマなロベルト・シューベルトの『トロイメライ』
筆者:大田忍

「良いモノ&ブランド」マガジンは、良いモノを有形無形関係なくひたすら紹介していきます。今回は、ドイツ・ロマン派の作曲家、ロベルト・シューマンについて。

シューマンの何が良いのか?

わたしはシューマンの曲がものすごい好きというわけではないのですが、シューマンという人の人生を想うといろいろな感情や思いや思考が湧くので、それが楽しくてシューマンを聴きたいと思います。

だから「シューマンの何が良い?」と問われれば、「彼の人生」と答えます。

ロベルト・シューマンの『トロイメライ』

どういうわけか「トロイメライ(Träumerei)」という言葉は、日本のミュージシャンにも人気でYUKI(知っている)やLiSA(知らない)の曲名にもなっているようです。ドイツ語で、夢という意味。ロベルト・シューマンのピアノ曲で非常に有名なもののひとつ。こんな曲です。

ウラディミール・ホロヴィッツ(Vladimir Horowitz)氏が弾く「トロイメライ」

この曲は、ロベルト・シューマンが1838年(28歳ごろ)に作曲しました。この曲を含めて全部で13曲で『子供の情景(Kinderszenen)』という作品になっています。『トロイメライ』は7曲目。『子供の情景』というタイトルは、愛するクララ向けての手紙に「あなたは時々子供に思えます」と綴ったその言葉から着想を得たためにつけられています。クララと結婚したは2年後の1840年。結婚式にはフランツリストも出席しています。

結婚にいたるまでとそれ移行のロベルト・シューマンの人生を死去する46歳まで見ていきましょう。

ロベルト・シューマンの略史

「略史」って人は言わないかもですが。

シューマンの父、アウグストは書店を開業し、出版社も設立。事業は成功し、裕福な家庭でした。

1810年(0歳) ザクセン王国ツヴィッカウにて誕生。

1820年(10歳) ギムナジウム(ドイツ語: Gymnasium。中学校?)に入学。ちょいちょいピアノを習う。才能ありそうなんで父アウグスト、ロベルトにピアノを買ってあげる。

1823年(13歳)父の刊行する雑誌に短文を掲載しはじめる。

1826年(16歳)姉のエミーリエが29歳で入水自殺。数週間後、父アウグスト死去。

1827年(17歳)8歳年上(25歳)の美人人妻アグネス・カールスと出会い、親しくなる。リディ・ヘンパー、ナンニ・パッチュの二人の少女とも付き合う。ドイツロマン派の小説家ジャン・パウルに熱中しはじめる。シャンパンや葉巻を覚える。

この年にベートーヴェンが死去(享年56歳)。

1828年(18歳) ギムナジウムを修了。葉はヨハンナと後見人のルーデルの進めで、ライプツィヒ大学法科に入学。しかし法律の勉強に熱中できず出席率が次第に減っていく。ライプツィヒは故郷のツヴィッカウのような自然がないことも嘆いていた。

ピアノを入手し、演奏に夢中になる。

仲良しの美人人妻アグネス・カールスの夫、エルンストがライプツィヒで医学教授になり、エルンスト、アグネスと再会。カールス家にて、ピアノ教師フリードリヒ・ヴィークとその娘クララに会う。ヴィークは厳しく授業料は高額だったが母の許諾を得て習う。このときクララは9歳。

1829年(19歳) 初めてライン川を観て感動する。友人と旅行をし、送金してもらったり借金をしたりする。このころのシューマンは無頼。

1830年(20歳)フランクフルトでニコロ・パガニーニの演奏を聴き、音楽家になることを決意。シューマンの母、食べていけなさそうな音楽家の道に進むことを望まなかったが、厳格なヴィークがシューマンの才能と未来を保証したので許諾する。

ヴィークの厳しさにシューマンはうんざりし始める。

1832年(22歳) 右手の指がうまく動かなくなる。ピアニストを断念し作曲家に専念する。目の病気にもなり失明を恐れる。

1834年(24歳)音楽雑誌『新音楽時報』を創刊。
エルネスティーネ・フォン・フリッケン(18歳)と恋愛。
エルネスティーネとの恋愛から『謝肉祭』(作品9)と『交響的練習曲』(作品13)を作曲。

1833年(25歳) 兄ユリウスとその妻ロザーリエが死去。シュンケら友人やパトロンのフォイクトとその妻ヘンリエッテらに励まされてそれを慰めとする。

1834年(26歳) 友人のルートヴィヒ・シュンケが肺結核で死去。

1835年(25歳) この歳からクララ(16歳)との恋愛が始まる。エルネスティーネとの恋愛は終わり、エルネスティーネは二人を応援するようになる。フェリックス・メンデルスゾーンがライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の常任。メンデルスゾーンの指揮でクララがライプツィヒでデビュー。
『ピアノソナタ第1番嬰ヘ短調』( 作品11)を作曲。クララに献呈。

1836年(26歳) シューマンとクララの交際に気づいたクララの父、ヴィークは二人の関係を阻止しようとする。それは裁判沙汰にまでなる。

この年に、シューマンの母、ヨハンナが死去。

1838年(28歳)『子供の情景』(作品15)、『クライスレリアーナ』(作品16)を作曲。

1839年(29歳) クララの父、ヴィークを訴訟。
『夜想曲集』(作品23)を作曲。

1840年(30歳) クララと結婚。フランツ・リスト出席。

1841年(31歳) 長女 マーリエ(1841年 – 1929年)誕生。

1842年(32歳) シューマンの収入だけでは生活費が足りず、クララは演奏旅行を増やす。演奏旅行では、クララは尊重され、シューマンはぞんざいに扱われた。オルデンブルクではクララのみ宮廷に招待され、シューマンは傷つき、ひとりライプツィヒへ戻る。
シューマン倒れる。クララとともにボヘミアの温泉にて保養する。

1843年(33歳) 次女 エリーゼ(1843年 – 1928年)誕生。
メンデルスゾーンが作ったライプツィヒ音楽院にて作曲とピアノの教授となる。
オラトリオ『楽園とペリ(Das Paradies und die Peri)』(作品50)を作曲する。オラトリオ(イタリア語「oratorio」)とはバロック音楽を代表する楽曲形式のひとつ。期待した収入を得られずにいたシューマンは『楽園とペリ』で成功をし、名声を確立する。クララの父、ヴィークが和解を求めてくるほどに。

1844年(34歳) クララとともに5ヶ月に及ぶロシア旅行から帰ってきた夏ごろ、精神障害を発症。高所恐怖症、死への恐れなど。症状の悪化でライプツィヒ音楽院にて教鞭を取れなくなる。ロシア旅行ではシューマンはくららの脇役で、そのような立場として扱われた。

1844年(34歳)–1850年(40歳) ドレスデンにて活動する。家計を助けるために出産と子育てのあいまをぬってクララは演奏旅行を行う。リヒャルト・ワーグナーと会うが仲良くならなず。

1845年(35歳) 三女 ユーリエ(1845年 – 1872年)誕生。

1846年(36歳) 長男 エミール(1846年 – 1847年)誕生。

1847年(37歳) 長男エミール、メンデルスゾーンが死去。

1848年(38歳) 次男 ルートヴィヒ(1848年 – 1899年)誕生。

1849年(39歳) 三男 フェルディナント(1849年 – 1891年)誕生。

1850年(40歳) ドュッセルドルフで音楽監督の職につく。
『交響曲第3番』(作品97)、『チェロ協奏曲』(作品129)を作曲する。

1851年(41歳) 四女 オイゲーニエ(1851年 – 1938年)誕生

1853年(43歳) 20歳のヨハネス・ブラームスがシューマンの家を訪れます。シューマンはそれを歓び、ブラームスを才能ある「若き鷲」と呼びました。また「彼が成長するにつれて、わたしは消えゆくのみ」とも語る。雑誌『新音楽時報』(Die Neue Zeitschrift für Musik)にブラームスの才能と将来を礼賛した記事を寄稿する。

1854年(44歳) ライン川に投身自殺を図ります。しかし漁師に救助されます。
四男 フェリックス(1854年 – 1879年)誕生

1856年(46歳)聴覚、味覚、嗅覚に感覚の鈍麻が広がり、四肢が自由にならなくなり、医師が回復の見込みがないと診断してから1年弱ほどして死去

シューマンの死後もクララは長生きし、1896年、76歳で死去。

彼の人生を総括してみる

裕福な家に生まれ、文学と音楽に囲まれながら、堅実な母の希望で法律を学ぶも、音楽に惹かれ、ニコロ・パガニーニの演奏を聴き、衝撃を受けてピアニスト・作曲家を目指す。22歳で右手は動かなくなり、ピアニストを断念。パガニーニの演奏を聞く前の18歳前後で遊び倒す。シャンパンに葉巻。借金など、無頼となる。

クララの父、ヴィークに妨害されまくりながらも30歳でクララと結婚。めちゃくちゃ子供を産ませるが、クララのほうがピアニストとして有名で生活費のためクララは出産と育児の間をぬって演奏旅行をする。ついていくもクララは優遇され、シューマンは冷遇される。おおきく傷つくが、それでもシューマンは自分以外の才能を礼賛し、それを広める活動をする。たぶんクララへもそういう態度だったろうと推測する。

ピアノを本格的に始めたのはおそすぎるくらいのシューマンだが、それでも才能があり、徐々に認められていく。しかし遺伝か、病気か、精神障害が苦しみ続ける。子どもたちにもその傾向があったのか三男のフェルディナントは自殺している。

人生の後半(40歳ごろ)に若きブラームスに出会い、光明のように感じる。しかし生活費、精神障害、身体的障害などに苦しみながら、姉のように入水自殺を図る。助けられるがその2年後に死去。そのころには四肢がうまく動かなくなっていました。

またロベルト・シューマンはけっこうモテてきた。人妻らとも良く仲良くなっている。しかし結婚後はクララにぞっこんな様子。

友人も多そう。

まわりに死が多い。時代か。彼特有か。わたしはまだわからない。家族、友人たち、子どもたちが多く死んでいくなか生きてきた。

まとめ

と、こういうロベルト・シューマンの人生を想うと、彼の曲を聴くときに

これはシューマンの人生のどのあたり創られたものだろう?

と知りたくなってきます。またそれと同時に曲を聴くだけで

「迷い、苦しみ、恋愛をし、才能あるものを褒め、才能ある妻とともに生き、才能あるものと自分を比べてまた苦しみ、ライン川に身を投げても死ねなかった……そういうロベルト・シューマンという人が生きていた」ということを感じることが出来ます。

音楽は音楽で楽しいのですが、ことロベルト・シューマンに関しては、わたし、彼の人生とセットで聴いてしまいます。『トロイメライ』はクララと恋愛しがらもまだ結婚するまえに創られた作品です。28歳のとき。シューマンの人生をいちどたどってから今一度、『トロイメライ』を聴くとその音が深く染み入ってきます。

unterBlumen( Nora Bosch; Anna Costa Cello)によるチェロとピアノの『トロイメライ』

参照