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2022/06/22
《週末アート》 ”シュルレアリスム”ってにゃに?
筆者:-

「週末アート」マガジン

いつもはデザインについて書いていますが、週末はアートの話。毎日午前7時に更新しています。

シュルレアリスムってにゃに?

サルバドール・ダリ 《記憶の固執》(1931年)
画像引用:Artpedia

「超自然」とも訳されますが、造語です。その根底にはフロイトの無意識という発見からのインスピレーションがあるようです。

「シュール」

シュルレアリスムの略で、シュルレアリスムのほうが先行しています。「非現実的・現実離れ」として使われています。では、シュルレアリスムとは、どういったものだったのでしょうか?

シュルレアリスム

時期:戦間期(英: interwar period)。第一次世界大戦終結から第二次世界大戦勃発までの1919年から1939年までの時代。

シュルレアリスム(仏: surréalisme、英: surrealism)とは、戦間期にヨーロッパで展開された文化・芸術運動で、芸術家たちが不自然で非論理的な情景を描き、無意識の表現を可能にする技術を開発したものでした。その目的は、運動の中心的な人物であるフランスの詩人、文学科のアンドレ・ブルトン(André Breton, 1896–1966)によれば、

「夢と現実というこれまで矛盾していた状態を、絶対現実、超現実というもので解決する」
“resolve the previously contradictory conditions of dream and reality into an absolute reality, a super-reality”

アンドレ・ブルトンm(※2)

というものでした。シュルレアリスムの運動のなかで、絵画、文章、演劇、映像制作、写真などの作品が生み出されていきました。

「シュルレアリスム宣言」発表の頃のアンドレ・ブルトン

シュルレアリスムの作品は、驚きや予期せぬ並置、非連続性といった要素を特徴としています。しかし、多くのシュルレアリスムの芸術家や作家は、自分たちの作品を、何よりもまず、哲学的な運動の表現(例えば、ブルトン氏が『シュルレアリスム第一宣言』で語っている「純粋精神的自動性」の表現)であり、作品そのものは二の次、すなわち、シュルレアリスムの実験の成果物であると考えていました。リーダー的な存在だったブルトン氏は、シュルレアリスムが何よりも革命運動であると明確に主張しています。当時、この運動は、共産主義アナーキズムといった政治的な大義名分と結びついていました。また1910年代のダダイズム(※後述)の影響を受けたものでした。

「シュルレアリスム」という言葉は、1917年に、ポーランド・ベラルーシ系のフランスの詩人、ギヨーム・アポリネール(Guillaume Apollinaire)に由来しています。しかし、シュルレアリスム運動が、公式に確立したのは1924年10月以降で、フランスの詩人・評論家のアンドレ・ブルトン氏が発表した「シュルレアリスム宣言」がその始まり。

シュルレアリスムの定義

ブルトン氏によるシュルレアリスム宣言(Surrealist Manifestos)におけるその定義:

「心の純粋な自動現象であり、それにもとづいて口述、記述、その他あらゆる方法を用いつつ、思考の実際上の働きを表現しようとくわだてる。理性によって行使されるどんな統制もなく、美学上ないし道徳上のどんな気づかいからもはなれた思考の書きとり。」(※1)

ダダイスム

ダダイスム(Dadaism)は、1910年代半ばに起こった芸術思想・芸術運動。第一次世界大戦に対する抵抗やそれによってもたらされたニヒリズムが根底にあります。既成の秩序や常識に対する、否定、攻撃、破壊といった思想を大きな特徴としています。ダダイスムに属する芸術家たちをダダイストと呼びます。初期の中心は、スイスのチューリッヒのキャバレー・ボルテール(Cabaret Voltaire)(1916年頃)。ニューヨークのダダは1915年頃に始まりました。1920年以降はパリで盛んになりました。ダダイズムは1920年代半ばまで続きました。

オートマティスム

オートマティスム(仏: Automatisme)とは、心理学用語で「筋肉性自動作用」という意味。あたかも、何か別の存在に憑依されて肉体を支配されているかのように、自分の意識とは無関係に動作を行ってしまう現象などを指しています。自動作用によって筆記を行う現象を自動筆記(英: Automatic writing)、自動書記、自動記述などと呼びます。アンドレ・ブルトン氏が、ダダイスムと決別し、精神分析を取り入れ、「シュルレアリスム宣言」前後から行っていた実験的試作の方法が、このオートマティスム(自動記述)。これは、眠りながらの口述や常軌を逸した高速で文章を書くなどして行うもの。

シュルレアリスムの歴史

マックス・エルンスト『象のセレベス』1921年
By Max Ernst (1891–1976) – Olga's Gallery, PD-US, https://en.wikipedia.org/w/index.php?curid=1840900

前述にもありますが、「シュルレアリスム」という言葉は、1917年3月にギヨーム・アポリネールによって初めて作られました。 アポリネール氏は、ポール・デルメへの手紙の中で

「あらゆることを考慮すると、私が最初に使った超自然主義よりもシュルレアリスムを採用する方が実際良いと思う」(Tout bien examiné, je crois en effet qu’il vaut mieux adopter surréalisme que surnaturalisme que j’avais d’abord employé)(※1)

と述べています。

アポリネール氏は、1917年5月18日に初演されたセルゲイ・ディアギレフのバレエ・リュス『パレード』のプログラムノートで、この言葉を使用しています。『パレード』は、ジャン・コクトーによる一幕物のシナリオで、エリック・サティの音楽で上演されました。コクトー氏は、このバレエを「現実的」だと評しましたが、アポリネール氏はさらに踏み込んで、「超現実的」と表現しています(余談ですがバレエの評判はあまりよくありませんでした)。

1924年10月には、2つのシュルレアリスム団体が対立し、それぞれが「シュルレアリスム宣言」を発表しました。それぞれが、自分たちは、アポリネールが起こした革命の後継者であると主張していました。イヴァン・ゴルが率いるグループは、ピエール・アルベール=ビロ、ポール・デルメ、セリーヌ・アルノー、フランシス・ピカビア、トリスタン・ツァラ、ジュゼッペ・ウンガレッティ、ピエール・ルヴェルディ、マルセル・アルランド、ジョセフ・デルテイ、ジャン・パンルヴェ、ロベール・ドローネらからなるものでした。

一方で、アンドレ・ブルトン氏のグループは、ポール・エリュアール、ベンジャミン・ペレ、ルネ・クレヴェル、ロベール・デスノ、ジャック・バロン、マックス・モリゼ、ピエール・ナヴィル、ロジェ・ヴィトラック、ガラ・エリュアール、マックス・エルンスト、サルバドール・ダリ、ルイス・ブニュエル、マン・レイ、ハンス・アルプ、ジョルジュ・マルキーヌ、ミシェル・レイリス、ジョルジュ・ランブル、アントナン・アルトー、レイモン・ケノー、アンドレ・マソン、ジョアン・ミロ、マルセル・デュシャン、ジャック・プレベール、イヴ・タンギなど、様々なメディアの作家やアーティストを含むまでに成長していきました。

第二次大戦が勃発し、ナチス・ドイツがフランスを占領すると、多くのシュルレアリストが米国に亡命しました。これは、フランスのユダヤ人、反ナチ運動家らをアメリカ合衆国に疎開させるために結成された緊急救助委員会(ERC) によって派遣されたヴァリアン・フライ(Varian Fry)氏の尽力によるものでした。またエルンストやデュシャンのように、美術品蒐集家・資産家のペギー・グッゲンハイム(Peggy Guggenheim)から個人的な支援を受けて渡米したシュルレアリストもいました。彼らは戦時中にニューヨークを拠点として活動することになり、米国の画家らもシュルレアリスムの運動に参加しました。アメリカで広がりを見せたシュルレアリスムは、抽象表現主義の誕生において重要な役割を果たすことになっていきました。

1946年に亡命先のアメリカ合衆国から帰国したブルトン氏は、1947年7月7日から9月30日までパリのマーグ画廊で第6回国際シュルレアリスム展を開催しました。この展覧会には、デュシャン、エルンスト、タンギー、ミロ、アルプ、ピエール・ロワ、パウル・クレー、ヴィクトル・ブローネル、ヴォルフガング・パーレン、ハンス・ベルメール、ロベルト・マッタら戦前からのシュルレアリストのほか、ヴィフレド・ラム、アーシル・ゴーキー、マルセル・ジャン、フレデリック・キースラー、ケイ・セージ、ドロテア・タニング、トワイヤンらの作品が多数展示され、シュルレアリスムの大規模な回顧展となりました。

1966年にブルトン氏が死去。これにより、シュルレアリスムの詩人、ジャン・シュステルが、1969年に『ル・モンド』紙に「第四のうた」と題する記事を掲載してシュルレアリスム運動の終結を宣言しました。この宣言は、日本でも「第四のうた – 宣言の形で」として1970年12月の『美術手帖』第336号に邦訳が掲載されました。しかし、この宣言に反対するシュルレアリスムの詩人、ヴァンサン・ブーヌール(Vincent Bounoure)、美術評論家・造形作家のジャン=ルイ・ベドゥアン(Jean-Louis Bédouin)らは、シュルレアリスムの活動を継続しました。

シュルレアリスムのアーティストと作品

マルセル・デュシャン

マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp、1887 – 1968)は、フランス生まれの美術家。画家として出発するも、油彩画の制作は1910年代前半に放棄しています。チェスの名手。1955年、アメリカ国籍を取得。近年の研究では、代表作の『噴水(泉)』を含む多くのデュシャン作品は、ドイツの前衛でダダイストの芸術家・詩人の女性、エルザ・フォン・フライターク=ローリングホーフェン(Elsa von Freytag-Loringhoven)が制作したとされています。

マルセル・デュシャンまたはエルザ・フォン・フライターク=ローリングホーフェン(Elsa von Freytag-Loringhoven)『泉』

ドイツの前衛でダダイストの芸術家・詩人の女性、エルザ・フォン・フライターク=ローリングホーフェン(Elsa von Freytag-Loringhoven)

マン・レイ

Man Ray, Black and White (1926).
Photo: Courtesy of VG Bild-Kunst, Bonn.
source: News.artnet.com

マン・レイ(Man Ray, 1890–1976)は、アメリカ合衆国の画家、彫刻家、写真家。ダダイストまたはシュルレアリストとして、多数のオブジェを制作しています。

ルネ・マグリット

René Magritte The Empire of Light, II 1950
source: MoMA

(René Magritte, 1898–1967)は、ベルギー出身のシュルレアリスムの画家。

サルバドール・ダリ

サルバドール・ダリ(左)とマン・レイ(右)
Salvador Dalí: The Persistence of Memory
source: Britannica

サルバドール・ダリ(Salvador Dalí 1904–1989)は、スペイン出身の画家。シュルレアリスムの代表的な作家。フルネームは、カタルーニャ語で「サルバドー・ドメネク・ファリプ・ジャシン・ダリ・イ・ドメネク (Salvador Domènec Felip Jacint Dalí i Domènech)」。妻は、詩人ポール・エリュアールの元妻、ガラ・エリュアール=ダリ。

『アンダルシアの犬』

『アンダルシアの犬』のロゴ

『アンダルシアの犬』(フランス語: Un Chien Andalou)は、ルイス・ブニュエルとサルバドール・ダリによる1928年に製作され、1929年に公開されたフランスの映画。けっこうグロテスク。初めて上映された時、ブニュエル氏は、観客の抗議を予想してポケットに投石用の小石を詰め込んでいたそうです。しかし、パブロ・ピカソ、アンドレ・ブルトン、ジャン・コクトー、マックス・エルンスト、ル・コルビュジエ、ルネ・マグリット、ポール・エリュアール、ルイ・アラゴン、マン・レイ、トリスタン・ツァラらを含む観客は拍手喝采で映画を迎え、ブニュエルは、シュルレアリスト・グループへの参加が許されることとなりました。

まとめ

なかなか難しく書きましたが、簡単にシュルレアリスムを言い換えると、こうなるのではないでしょうか。

ジークムント・フロイト(1856–1939)氏らが広めた「無意識」というものの存在がアーティストも含めて人々に与えた衝撃は巨大なもので、アーティストとたちは、ロジックが支配してきた思考のフレームを「辻褄が合わないものも存在している。いや、辻褄が合わないもののほうが根源になる」というインスピレーションを無秩序、気持ち悪さ、違和感をそのまま受け入れる、受け入れさせる、発信することを良しとする、という価値観の創造と体現という運動に発展したもの。

戦間期の混沌のなかで生まれたうごめく衝動が表現として視覚化されたり、読み物になったりした、それがシュルレアリスムなようです。

参照

Surrealism – Wikipedia en.wikipedia.org

※1

シュルレアリスム – Wikipedia ja.wikipedia.org

※2
https://en.wikipedia.org/wiki/Surrealism