1984年に出版の著書
当時、流行語大賞の銅賞を受賞するほど話題になった言葉「スキゾ・パラノ」。
そのもとになったのが、この数理経済学、ゲーム理論を専攻した浅田彰氏の著書。
スキゾとは、スキゾフレニア(Schizophrenia) を意味して、本書では「分裂型」としている。
それもそのはずでs,スキゾフレニアには2002年までは「精神分裂症」と呼んでいたから。よ読んでいたから。
パラノとは、パラノイア(paranoia)は、「偏執型」。
本書では、これらの対比させながら、「スキゾ」を逃走タイプとして、それを推奨したエッセイ集です。
様々な雑誌(ブルータスも入っています)に寄稿したものなどが含まれていて、文体は軽く読みやすい。が、それでいていろんな知識(マルクス、ハイデガー、ニーチェ、ケインズ等々。エリートにとっての基礎知識群)を前提としているので、その辺は、場合によっては負荷が高いかもしれない。けれど、避けて通れない道でもあります。
スキゾは、「逃げる」タイプの生き方で、家庭や仕事や責任から逃げる。
一方で、パラノは、「コツコツと執着して積み上げる」タイプの生き方で、家庭や仕事、知識や地位に執着する。執着するのは、そこから離れると積み上げて生んだ価値を喪失してしまうから。例えば、銀行や証券会社に務めたとして、そこでキャリアを高めていくと高級を得られ、地位も高くなる。しかし、システムが瓦解したときに、一気に無価値になってしまいもする。無人島でも、災害でも良い。システムへの依存度が高い。家長もまたそうで、彼が統治する家庭がなくなれば、彼の地位は喪失してしまう。
ところで、本書で家長的な思想に関連して結婚を「性的に独占する」という表現をしている(妻と夫どちからみてもそう言えるだろう)。これとほぼ同じことを上野千鶴子先生もおっしゃっている。結婚の歪みみたいなものをかなり軽やかに看破しているのが、橘玲の『言ってはいけない』だったのがおもしろかった。閑話休題。
スキゾは、逃げる。責任なんてとらない。彼ら(彼女ら)の寄る辺は、「事態の変化を捉えるセンス」や「偶然に対する勘」のみ。軽やか。
山口周さんは、著書『武器になる哲学』のなかで、スキゾは卑怯というよりはずっと勇気のある生き方だと述べています。この勇気は、アドラー心理学でいうところの勇気に似ていて、何かが壊れる、失うのが怖い、を乗り越える力と換言できそうです。
今ある1億円を失ってしまうかも、ということができるのがスキゾで、今ある1億を1.1億円にするという考えがパラノですね。
1億失ってゼロやマイナスから始められるというのは、力強いもので、それは「つぶしがきく」とも言えるし、創意工夫に積極的に関わる姿勢だとも言えます。
ここでいうところのパラノを完全否定してはいけないと思いますが(本書でも「スキゾいいね」とは言っても、「パラノはあかんがな!」と強く言っているわけではない)、スキゾという概念を経口摂取しておくと健康に良さそうです。とくにわたしのように真面目な人間には効果が高そうです。
お金に関しての考察も、むしろ現代的。
読書についても、そう肩肘をはらずにつまみ食いすれば良いじゃないかと勧めています。
ついで、哲学と数学の強関連についても再認識。こつこつ数学を勉強しているが、これも大事なことだと安心できました。
衒学的になるのは避けたいが、それでも読んでおいて損はないと言うか、通らざるを得ない道にこの本はおいてあると考えました。
アラン・ソーカルの「ソーカル事件」についても、この本を読んだ経由で知れました(本書の中ではなくて外で)。
大田 2019年97冊目