期待したこと:
何かとチラチラと目にする「アドラー心理学」をざっくり理解したい。
得たもの:
自己肯定の堅固な足がかり
そして勇気の素
概要:
アドラー心理学とは、フロイトやユングと並んで巨頭と目されるアルフレッド・アドラーによる個人心理学。
『人を動かす』(How to Win Friends and Influence People)のデール・カーネギーは、
アドラーのことを「一生を費やして人間とその潜在能力を研究した偉大な心理学者」と紹介している。
そんなアドラーの心理学を、
プラトンの研究者らしく対話方式で
紹介する、とっつきやすい内容。
では、アドラー心理学とは、なんぞや?
と言うと、ざっくりと言えば、
「堂々と生きるための心理学」。
トラウマがどうのとか、そういうことはどうでも良い。
自分の人生を直視して、傷ついてもなお
前を向いて生き、自分の能力のマックスで
生き抜くための思想、とも言えるもの。
具体的に言えば、
「どうせ私なんて」と思ってしまうとするとき、
それは、何もしないために、そういう考えを持って
いるということ。
劣等コンプレックスなどは、
「それゆえに何ができない」ものではなく、
逆で「何かをしないためにこしらえたもの」という考え。
換言すれば、
「怒ったから殴る」ではなく、
「殴りたいから怒る」
そういう考えです。
では、なぜ
「どうせ私なんて」
と思うのか。
何目的なのか?
それは、
自分の実力の限界を
直視しなくて済む、
というもの。
傷つかないことが目的です。
振られるのが嫌だから
告白しない
ということと同じです。
でも、それ
悪手だよ、
ということを理解するのに
アドラーは、とても良い哲学です。
昔、予備校で
僕のことを見ては
クスクス笑っている
女の子が居て
可愛いのだけれど
いや可愛いからこそ
僕を馬鹿にしているのではないか?
と疑心を抱いて勝手に傷ついて
いたのだけれど、
後でわかったのは、
僕に対して好意を
持っていたらしいということ
でした。
恥をかく、
傷つく、
ということを避けるために
世界を縮小してしまっている
学びになりましたが、
そういうことです。
本当に馬鹿にしている場合だって
あるかもしれません。
でも、だからどうしたのだ、という
ことになります。
僕らが自分たちの人生をマックスで
生きようと思ったら、
傷つくより大事なことだらけであり、
むしろ傷ついて足りないものを
知るほうが大事だったりする。
でも、怖い。
そのとおりです。
そこで役立つのは、
キャロル・ドウェックの
『マインドセット』という本です。
またはTEDでも語っているので
その動画を観るだけでも良いでしょう。
彼女は、
「努力すれば人は変わる」
という考え方で生きるのが健全だという主張をしています。
一方で、
メルビン・ラーナーという社会心理学者は、
「努力すれば報われる」という考えを
「公正世界仮説」と呼んでおり、
これはなかなか危険であることを指摘しています。
というのは、「努力は報われる」世界であれば、
「努力しているのに報われないのは間違いだ」という
思想に結びつくからです。
テロなんか、
だいたいそういう思考が
根底にあるよね、と言われています。
ドウェックの考えと、
公正世界仮説をあわせて
考えると
どっちやねん?
と思いそうになりますが、
別に相反しません。
報われない努力もあることを前提に
報われる努力を模索すれば良いわけです。
自分の実力が10点中、今現在
4だとしたら、それを見ないで
何もしないようり、
ちゃんとみて、
「まずは5にするためにはどうしたら
良いだろうか」と模索するのが
好手だというわけです。
これが、
「堂々と生きる」という冒頭に述べた
言葉の軸を支える土台になります。
そのためには、
アドラーの心理学が、
とても役に立ちます。