今年14冊は、『サピエンス全史』と同じ、柴田裕之氏の翻訳による、
シェリー・ケーガンのDeath。
ユヴァル・ノア・ハラリ氏の『ホモデウス』を読んで以降、個人的にも社会的にも「死」について一度徹底して考えておきたいとは思っていたので、良い機会とばかり手に取りました。
が、苦手でした。
内容というよりも著者が。
同じように苦手だった本は、板倉雄一郎氏の『社長失格』、スコット・ギャロウェイの『the four GAFA 四騎士が創り変えた世界 』で、何が共通しているのかというと「質の悪い悪いエゴ」とわたしが名付けるものが通底している(ように感じる)ところです。
表紙からも達観した哲学者然とした様相から、伺い知れなかったのですが、どうにも文の後ろに「私を観て!」的なエゴを感じて、具合が悪い。
翻訳によるのか、原文によるのか
「シェリー先生の考え」と題する章が多出する。自分で自分をユーモアを感じさせることなく「先生」と自認する、その狙いが何か、わからない。
死に対する項目や切り口は、興味深くはある……
のだけれど、どれをとっても冗長で、それは自ら考えることを促しているのかもしれないが、かと言って冗長なものは冗長なままである。
そういったわけで、
死について考えるには、
少なくともわたしにとってこの本は、
感情がざわついてしまうために
適していないようです。
Amazonの書評で、
「肝心の形而上学的な考察部分がまるまる端折られているのは、いかがなものか」という批判が多くされている。確かに、翻訳本として出版していて、手にしてみると「実は、原書の前半部分カットしているんですよー」ってのは、詐欺みたいなものでしょう。しかし冗長な著書なので、個人的には「もう形而上学的部分なんてなくたって別にいいや」という気になって、問題に感じない。
イェール大学で23年も人気講義だとあるので、イェール大学卒の方に会う機会があれば、ちょっと直接、この講義について尋ねてみたい。
本当か?と。