向田邦子さんのエッセイのなかで短歌が紹介されていたので、吉屋信子(よしやのぶこ)さんの本をひとつと思って読んでみました。吉屋信子さんとは1896年生まれ、1973年に77歳で死去された日本の小説家です。
『わすれなぐさ』は、昭和7年(西暦1932年)、吉屋信子さんが36歳のころに、少女雑誌(なるものがあったのか!)『少女の友』に連載されていた小説です。内容は軟派でお嬢様の陽子、優等生の一枝、個人主義の牧子の関係を描くまさに少女小説。ですが、同時に当時の男尊女卑の風潮への反駁も巧みに織り込まれています。
吉屋信子さんの話にもどりますが、吉屋信子さんの父は、新潟県警署長で、信子さんにゆえに新潟生まれ.その父は、頑固な男尊女卑の思想の人で、信子さんのこの思想への反駁はこのころから育まれた様子。父の転任にともなって栃木の高等学校にて、新渡戸稲造の演説を聞き、感銘を受けます。その演説で新渡戸稲造氏は、こう述べて、そこに心打たれたとのこと。
「良妻賢母となるよりも、まず一人の良い人間とならなければ困る。教育とはまず良い人間になるために学ぶことです」
1919年、吉屋信子さんが23歳のとき、『屋根裏部屋の二處女』で同性愛体験を語っていますが、1919年といえば、第一次世界大戦が終わったばかりの頃。ずいぶんと先進的な吐露だったのではないでしょうか。
1923年に人生のパートナーにもなる門馬千代と出会い、ほぼ生涯をともにして生きました。1928年(信子さんが32歳のとき)からヨーロッパへ、門馬千代さんも同行。パリで1年ほど過ごしています。本書は、帰国後に書かれたもの。
日中戦争では、チャイナに派遣されて、従軍ルポルタージュを発表し、のちにそれを戦争協力だとして非難されます。
晩年は、神奈川県鎌倉市長谷に邸宅を建てて過ごしていました。その邸宅は、信子さんの死後、千代さんによって鎌倉市に寄付されて、現在は吉屋信子記念館となっています。
大田 2020年220冊目(通算578冊)