例えば、元グーグルのピョートルさんの著書も、旧態依然とした思考では、今後やばくなるよね、ってことを言っているように思いますし、堀江貴文さんも「さっさと面白いと思うことやれば?」とうんざりするほど言い続けています。アトキンソンさんの「日本って実力あるのに間違ったことばかりやって、わたし日本好きなんでちょっとちゃんとして」という意味の著書群も、古い思考から脱却しないとあかんでなーという点では、遠からずの論だと思います。
これは、わたし自身も振り返って、とくに堀江さんの本を最近読み散らかしていて、思うことなのですが、
って、結論に繋がります。
本書は、そもそももうちょっと概観的な、潮流の話をしていますが、読んでからどうやって行動に置換するのか、ってなるとやっぱりさっきの「おもしろいことやってみる」ってことに帰結します。
山口さんは本書で、『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」』でも言っていた、
正解を出すってことはもうコモディティ化されちゃってて価値が低いんやでー
ということを繰り返しています。
正解を出さずに、じゃあ何を出すのかって言うと、
問題解決じゃなくって、問題発見
ってことだと言っています。
これはAIには難しくて、人間には可能な仕事だとも誰か他の場所で(もしかしたら山口さんだったかな)言っていました。
生きるために働くって概念を捨て、
金になるからって発想も捨てて、
じゃあ何が残るのかっていうとものすごく曖昧な
ただただ「これっておもしろいんじゃないかな」ってことを手当り次第やってみて
「やっぱりおもしろい!」ってことに没入してみる
って姿勢のようです。
言い換えれば「セレンディピティ」って、ことになるかもしれません。
セレンディピティとは、
「何の役にたつのかわからないものを集めて、あとから意外なところで役に立ってなんとかなっちゃう力」
みたいな意味です。漫画『マスターキートン』の平賀 キートン 太一みたいに「あれ? これなんじゃろ? どうやって使うのかな?」と思うものをポッケに入れて、それがのちに窮地を救うものになったりする、という至極至極あいまいな展開の可能性を孕むもの。それがセレンディピティであり、これから大事になる姿勢のようです。
その姿勢イコール「NEW TYPE」というキャラクターに仕上げている本書では、その特徴を24設けています。いますぐ効果がでるわけではない行動変容ですが、中長期的は、大きな結果に(気づかないうちに)なっていく気がします。そして、世界観に関しては、けっこうすぐに変わります。
きっとですが、人生が、楽しくなります。
しなくてはいけないことをするのではなく、おもしろいことをすれば良いのだから。
でもお金は?と
お金の心配をしてしまうなら、ブッシュクラフトの知識をみにつけることをおすすめします。
寝床を確保して、水を得て、火を熾し、食べ物を見つける、捕まえる技術があれば、お金がなくなっても生きていきます。
大田 2019年 130冊目