1984年に出版の著書
当時、流行語大賞の銅賞を受賞するほど話題になった言葉「スキゾ・パラノ」。
そのもとになったのが、この数理経済学、ゲーム理論を専攻した浅田彰氏の著書。
スキゾとは、スキゾフレニア(Schizophrenia) を意味して、本書では「分裂型」としている。
それもそのはずでs,スキゾフレニアには2002年までは「精神分裂症」と呼んでいたから。よ読んでいたから。
パラノとは、パラノイア(paranoia)は、「偏執型」。
本書では、これらの対比させながら、「スキゾ」を逃走タイプとして、それを推奨したエッセイ集です。
様々な雑誌(ブルータスも入っています)に寄稿したものなどが含まれていて、文体は軽く読みやすい。が、それでいていろんな知識(マルクス、ハイデガー、ニーチェ、ケインズ等々。エリートにとっての基礎知識群)を前提としているので、その辺は、場合によっては負荷が高いかもしれない。けれど、避けて通れない道でもあります。
スキゾは、「逃げる」タイプの生き方で、家庭や仕事や責任から逃げる。
一方で、パラノは、「コツコツと執着して積み上げる」タイプの生き方で、家庭や仕事、知識や地位に執着する。執着するのは、そこから離れると積み上げて生んだ価値を喪失してしまうから。例えば、銀行や証券会社に務めたとして、そこでキャリアを高めていくと高級を得られ、地位も高くなる。しかし、システムが瓦解したときに、一気に無価値になってしまいもする。無人島でも、災害でも良い。システムへの依存度が高い。家長もまたそうで、彼が統治する家庭がなくなれば、彼の地位は喪失してしまう。
ところで、本書で家長的な思想に関連して結婚を「性的に独占する」という表現をしている(妻と夫どちからみてもそう言えるだろう)。これとほぼ同じことを上野千鶴子先生もおっしゃっている。結婚の歪みみたいなものをかなり軽やかに看破しているのが、橘玲の『言ってはいけない』だったのがおもしろかった。閑話休題。
スキゾは、逃げる。責任なんてとらない。彼ら(彼女ら)の寄る辺は、「事態の変化を捉えるセンス」や「偶然に対する勘」のみ。軽やか。
山口周さんは、著書『武器になる哲学』のなかで、スキゾは卑怯というよりはずっと勇気のある生き方だと述べています。この勇気は、アドラー心理学でいうところの勇気に似ていて、何かが壊れる、失うのが怖い、を乗り越える力と換言できそうです。
今ある1億円を失ってしまうかも、ということができるのがスキゾで、今ある1億を1.1億円にするという考えがパラノですね。
1億失ってゼロやマイナスから始められるというのは、力強いもので、それは「つぶしがきく」とも言えるし、創意工夫に積極的に関わる姿勢だとも言えます。
ここでいうところのパラノを完全否定してはいけないと思いますが(本書でも「スキゾいいね」とは言っても、「パラノはあかんがな!」と強く言っているわけではない)、スキゾという概念を経口摂取しておくと健康に良さそうです。とくにわたしのように真面目な人間には効果が高そうです。
お金に関しての考察も、むしろ現代的。
読書についても、そう肩肘をはらずにつまみ食いすれば良いじゃないかと勧めています。
ついで、哲学と数学の強関連についても再認識。こつこつ数学を勉強しているが、これも大事なことだと安心できました。
衒学的になるのは避けたいが、それでも読んでおいて損はないと言うか、通らざるを得ない道にこの本はおいてあると考えました。
アラン・ソーカルの「ソーカル事件」についても、この本を読んだ経由で知れました(本書の中ではなくて外で)。
大田 2019年97冊目
孤高のピアニスト、グレン・グールドについて音楽評論家の吉田秀和さんの考。
グレン・グールドを知ると同時に
文からは吉田秀和さん本人が浮かび上がってくる。
グレン・グールドとのいくぶん似た部分があるように感じました。
それは、好きなものに沈んでいくような傾向です。
またいい匂いがする文でもありました。
グレン・グールドは、よくもわるくも批判をよくされる人のようで
しかし、わたしは彼のピアニストを聞いていると、吉田さんが言うような「遊び」それも真剣な「遊び」を感じる気がします。
吉田秀和経由でグレン・グールドのことを少し知ることができてよかったと思いました。
それにしても、グレン・グールドは被写体として素晴らしい。
文章も楽しそう。
そして、わたしはやっぱりヨハン セバスチャン バッハが好きです。
少しでも理解が深くなるように数学を少しずつ勉強する日々です。
大田 2019年 96冊目
どうして編集者の名前が、谷崎潤一郎と同じ大きさで表紙に併記されているのかわからない。
編集を軽視するつもりはないのだけれど。
昔の作家たちは、人としてちょっと問題があるなあと(バロウズもロクでもないし、檀一雄も吉行淳之介も、きりがないけれど)という思いが湧く。
時代圧が作るフレームには、どうにも感化されてしまうのか。女性を物質的に観る視線に耐えられない。倫理的な理由ではなくて、その浅はかさに腹が立って。
くわえて、冗長な前置きから始まる「解説」も苦手でした。
収録されているエッセイそのものは、うまく行けば楽しめるのかもしれないが、今のわたしにはちょっと難しい。
他に読みたい本がある。
大田 2019年 95冊目
読了放棄。
死んだ人が生き返るたぐいの話には、
わたしはどうも憎しみ混じりの嫌悪を感じるようです。
平野啓一郎さんが小説を通して人々に伝えたそうな分人という思想は、興味深い。
ただ死んだ誰かとまた会える、話ができる、というのは、嫌いです。
生きている時間の軽視と考えているのでしょう。
大田 2019年 94冊目※読了してないけど。いいかな。
タイトルから
最初に気になるのは、「答えは何?」ということでしょう。
でも、その答えに至るには、「投資家」と同じようにお金に真正面から向き合う必要があります。
というのが、この本のテーマだと思います。
お金より大切なものは、お金のこと、もっと言えば、お金と自分の距離を良くしらないと見えてこないようです。
この本は、まずとてもおもしろい。おもしろく読めます。
最初の数ページを読めば、あとは自動的に頁をくることになるでしょう。
そして、ポジティブ。
不都合な事実を直視させながら、常にファスト&ポジティブ。
読むとはやる気持ちと前向きな気持が喚起されるところは、堀江貴文氏や西野亮廣氏の本に通じます。
一方で、わたしは、元気になる本に対してなんとなくの警戒心も抱きます。
なんとなく「まてよ」って声が聞こえてきます。
この声に従うと何をせざる得なくなるかと言うと
自分でも考える
ということです。自分で調べて、自分で体験してってやないといけねーなーと。
バランスを取るためなら、橘玲さんの本と合わせて読むと良いと感じています。
橘玲さんの本も事実をできるだけ直視しようとしていますし、彼も実践の人です。
ただし、橘さんの場合、なんとなくパセティックです。ディストピアの予感も含まれている気がします。
同じテーマで、違う気配の本を読むと、なんというか前に進みやすくなる気がします。
それにしても気持ちが良いので、本棚のすぐ手に取れる場所において、これまた何度も読みたい。
読む本ノルマがまだ-11冊なので、これ超えたら、さっさと読み返したい。
いや待たないかも。
大田 2019年 93冊目
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すごい経営者のスタンダードを学びつつ
わたしは違うスタイルで人生を試そうと思う
孫正義さんと一緒に通信業界の価格是正に挑んで成功した、大久保秀夫さんの自身を振り返っての「決断とは」という啓蒙書。
小説のように引き込まれて読んでしまう。田中修治さんの『破天荒フェニックス オンデーズ再生物語』を彷彿させる、ハラハラといながら読み込んでしまう経営物語。
だども
ずっと思ってきたのだけれど、「寝食を忘れて深夜まで働き、がむしゃらになって何かを世界を変えることを成し遂げる!」って、なんとなく正しくないのではないかと。いや、これ以外の選択もいろいろあるんじゃないかと。そして、そのいろいろのなかからわたしは、進化心理学を選び、「自分の心身がベストな状態が一番良い仕事をするのではないか」という仮説をしばらく検証してみようと思っています。
川村元気さんの『仕事。』を読んでも、偉大な先人たちは、寝ないで頑張んっていました。でも、海外に目を向けると企業価値の高い企業の経営者たちの多くは、ちゃんと寝ていました。週末はちゃんと遊んだりしていました。休みもしっかりとります。イタリア、ドイツ、デンマークなど他の国々を観てみてると、働く時間は少なく、生産性は高く、そして家族を大切にして、幸福度が高かった。
あれ?そっちのほうが良くない?生産性だって高いし。
大久保さんのこの本は、戦士のようでした。稲盛和夫という巨像に震えながら直談判する姿など、感銘を受けます。でも深夜遅くまで働いている間、奥さんや子どもたちと過ごす時間ってどうなんっているんだろうか。きっと少なかったはずです。でも彼らには、日本の通信業界を是正するという使命がありました。そのためのなら家族や妻との時間を犠牲にするのもやむなしか。
というのが、わたしの考えです。その偉業も、100年くらい経ってから振り返ってみるとどこにも功績は残っていないじゃないだろうか。というか歴史に名を残さなくても別に良いのではないだろうか。家族を大切にしながら、自分の幸福を保持しながら、社会をより良くすることってできないのかな?いやできるんじゃね?だって効率はそっちのほうが良いはずなんだから。
と。
もちろん戦士のような経営者、パイオニア、アントレプレナーたちはみな尊敬してしまいます。わたしの友人にも寝食をわすれてがむしゃらに日本のある業界を牽引していこうとしている方がいて、彼の年収はわたしよりずっとずっと多い。それでも、わたしは、山に行って一人で過ごしたり、本を読んだり、しっかり寝て、運動して、家族と過ごす時間をちゃんと設けて、ってほうが、わたしにとって正しい、と仮説したまま、研鑽を重ねています。
その姿勢を改めて、「やっぱこれでやってみよう」という気持ちに、これを読んでなれました。
ところで話は飛びますが、森鴎外は、「しごと」を「為事」と書いていました。「仕える事」でなく、「為す事」。
社会に、未来に、会社に仕える事じゃなくて、シンプルに「為す事」が「しごと」というのが、わたし、良いと思います。
(大田 2019年92冊目)
すごく強くおすすめするけれど、人に依るしなぁと思って「オススメ」に留めるけれど
ざっと読んでおいて損はない
わたしが、まいどまいど「パセティック」だと言ってしまいがちの橘玲氏の著書だが、本書は、けっこう空気が軽い。
内容は、前著「臆病者のための株入門」より、広いテーマ(株に限らない資産運用)を取り扱っています。
橘玲さんのすごいところは、徹底して調べて、自分で結論を出しているところで、
これはとても真似したい。誰か信用できそうな人が言っていることを真に受けるフェーズからの脱出には、とても良い刺激と追い風を提供してくれる気がします。
というのも、反論も同意も「疑念を挟むなら、自分で調べて、論拠を見せてみ」とスクリーニングをくぐらないといけない心持ちになるからだ。
はい、調べます。研究します。とお答えするか、彼から離れるか、しかない。
彼の他の著書にも共通して、なんとなくわたしはパセティックなバイアスを感じるのだけれど、
それを口にするには、わたしも論拠をちゃんと作らなくてはいけない。それが良い。
直感は大切なのだけれど、
知識の乏しい人の直感はだいたい間違う。
知識の豊富な人の直感が良さそう。
だから、もうほんと知識の収集が大事。
どうじに知識だけじゃなくって危険な場所に行くもの大事な気がしています。
生きるのに必要なものはなにか?というスクリーニングが、蓄えた知識を奮って精査してくれるから。
さて、閑話休題と、橘玲氏のこの著書に戻りますが、
パセティックとか言いつつ健全です。
年金の心配するなら、自分でなんとかすれば?
そんなに難しくないよ。という解決策をけっこうはっきりと提示してくれます。
ただし、それは簡単であるが、簡単ではない。
なぜなら、「自分で考えて、自分で作る」ことが要するから。
現代に生きるわたしたちは、選択肢を用意してもらって、指示をもらって、生きることに慣れまくっている。
それが難しい理由。
彼が提示する解決策に、寄り添うなら
失敗をしても良いマインドセットを持ち合わせている必要があります。
まさにキャロル・ドゥエックさんの著書がそれにはうってつけなので、おすすめします。
お金には正視して取り組んだほうが良い気がします。
しかしお金の様相は、これから大きく変わりそうな気配もあります。
健全になるかどうかはわかりませんが、世界が正しくあろうがなかろうが、
それを見極めて、健全に生きる、ってことが大事で、それって遺伝子に盲従しないで
自分で工夫しないと幸せにはなりにくい、って構造と似ています。
(大田 2019年91冊目)
あたらしい健康の書
平野啓一郎さんの「分人」という言葉は、英語かつキリスト教圏発であろうインディビジュアル(Indivisual)とまっこうから対立した概念で、いや対立という言い方は正確ではなく、昇華した概念とも言えるかも知れません。
Indivisualは、不可分なという意味で、もう分けられない最小単位を「個人」と日本語訳されたわけですが、平野さんは、「わたしって一人じゃなくても良くね?」という提言されている。会社のわたしと家庭のわたしとネット上でのわたしがバラバラだっていいじゃないか?という意味で、これは「自分って一体なんなのだろう」という疑念に優しく肩に手をおいてくれるような救済でもあったりします。
その概念を平野さんは、小説を通しても伝えようとしているようです。
またこの本では、平野さんの読書の経歴なんかもみれて、それも楽しめました。彼は、アナロジーとして小説を捉える観点を持っているようでした。わたしは、小説をただ小説として捉えていたので、これは新しい観点で、世界が広がりました。
元気になるし、世界が広がる本でした。
(大田 2019年90冊目)
どうして英語で買ったのかわからないけれど、たぶん翻訳本が高かったのだろうと思います。
そういう意味では、ネフの『セルフコンパッション』も英語で買えばよかったんですが、妻も読みたいということで翻訳本を買っていました(英語だと1000円、翻訳本だと4100円)(しかし妻はまだ読んでいません。読むのかしら。)。
ベンジャミン・グラハム氏は、投資の神様、ことウォーレン・バフェットが師と仰ぐ投資家。この本も改訂を重ねる過程で、バフェットのコメントや付録がけっこうあるので、そのあたりも楽しめます。
投資について勉強すると面白いのですが、「ちゃんとした」投資指南者と、そうではない投資指南者と中くらいの投資指南者がいるなーという気配を感じます。「そうではない投資家」を知るのは、投資家になるなら、大事なことになりそうです。すぐにそれを知るには、橘玲の『臆病者のための株入門』の冒頭を読むのが一番早いです。ただし、橘玲さんは全体的にパセティックな気配があるので、橘玲さんから少し離れた本も読んでおきたい。投資に関係なく。そういう意味では『ファクトフルネス』はヘルシーな良書です。
話を戻して、The Intelligent Investorは、バフェットが自分のセオリーを完成させるための強大な知を提供した本と言えます。読んでいて、驚くのは、バフェットもそうですが、ものすごい忍耐力というか執着力で、企業の数字を自分で追い、まとめて、考察しているところです。お金は社会貢献ももちろん、インセンティブになっているでしょうが、これはひとつの「向いている資質」とか「才能」が背景にあるんじゃないかなと感じます。さきほどの橘玲さんも自分で勉強してリスクを負って仮説を検証するという経験をかなり積んでいます。
ベンジャミンやバフェットの投資法については、橘玲氏の分析がわかりやすいですが、徹底して企業の有り様を研究して、「割安株」を見つけて、長期的に保有するというものです。
真似をすれば、あまり失敗しないんじゃないでしょうか。わたしは、といえば、まだ精通していないので、ドタバタと失敗を繰り返して、体で覚えるというフェーズではしゃいでいるところです。ただバフェット的な投資法をするには、心身を注ぐ必要を感じます。それならインデックス投資法のほうが「楽」です。このあたりが、資質に依るものを感じます。
また本書は、1949年に出版されているので、ダウ・ジョーンズの銘柄も今とぜんぜん違うので、そのあたりも楽しいです。
英語を学ぶために読むなら、小説のほうが良いかもです。今、わたしはGalvestonというハードボイルドな殺し屋の小説を読んでいますが、こちらのほうが展開が楽しいので、英語の学習には向いている気がします。
本書の内容の精査は、まだまだできていないので、うまいことレビューはできないものの、懐にいれて何度も読み返して身につけていきたく思います。
ところで、バフェットは、まだ子供の頃に図書館の「経営・経済」の棚にある本を全部読み切ったという逸話も持っています。
やっぱ資質ってある気がします。
(大田 2019年89冊目)
名刺管理サービスのsansanのイベントで受講したことを契機にピョートル・フェリークス・グジバチさんの著書を読むようになりましたが、これはすごく今の習慣を補正するのに良い本でした。
説得力がなぜかすごくある。彼の出自(激動の時代のポーランド出身からモルガン・スタンレーやグーグルを経験)がためだろうか。いや、他の良書、エビデンス系も含めて符号する話ばかりであり、且つ机上じゃなくて経験して補完しているからだろう。
人生を変える、という意味では、Sクラスで強い影響を受けました。
電話って、非効率だし、なんなら弊害とまで、ホリエモンこと堀江貴文さんはおっしゃっているけれど、今は電話どころかメールも効率が悪いと言われ始めています。
どう生き残るかというよりは、もっと攻めて、どう世界を変えるトップランナーであるか、という姿勢のグーグルには、コンベンショナルなところがありません。
社内ですら、トライアル アンド エラーをたくさんしています。この辺は、アマゾンもまた同じです。
マインドフルネスを積極的に取り入れているのも、グーグル。その一切合切に「なぜ」という光を当ててみると、その姿勢が浮き彫りになってくるでしょう。
経営者たちには、耳の痛いデービッド・アトキンソン氏の著書、それから中島聡さんの『なぜ、あなたの仕事は終わらないのか スピードは最強の武器である』と合わせて読むと、染み入ります。
わたしは、基本エビデンス系(信頼できそうな論文をベースにした考え)にコミットしているのですが、それらと齟齬のない多くのトライアル アンドエラーを経由した経験則も大好きです。(一方で、1個人の「わたしはこれで成功した」という経験則は好まない。信頼に耐えないし、時代はその経験則を追い越している可能性が高いから。)
今年読んで良かった本って他に何があったか思い返してみると
『 世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』→これはもう必読書だし、何度も読んでいる。山口周さんのファンになった。
『ファクトフルネス』→橘玲の『言ってはいけない』のポジティブ版
『小保方晴子日記』→「読ませる!」ところがすごかった。
『セルフコンパッション』クリスティーン・ネフ→生産性を最適化できる救いの書
とかかしら。
あとトーマス・マンの『魔の山』も良かったし、読む必要を感じるが、長い!
読みかけだがベンジャミン・グレアムの『The Intelligent Investor』も良い。さすが、バフェット様の師。
それにしてもピョートルさんのこの本もまた、ひとつひとつ実践していきたい。
それにしても、この本Kindleなら700円で買えてしまう。なんてオトクなんでしょう。
あ、「メールを使わないで何を使うのか?」ですが、これはぜひ読んで知ってほしいと思います。いわゆる『東大読書』でいうところの取材読みになるでしょう!
(大田 2019年88冊目)
まず映画。
『Tomorrow』という映画は、身近なところから、かなり簡単に世界を変えられる、という話。
食(野菜)、地域通貨、教育など。
「地球を救おう!」的なスピ系ではなく、地に足をつけた「今すぐできる大切なこと」は、
地球というよりは、わたしたちやわたしたちの次の世代たちのWell-beingのためにプラクティカルに大切なものを育む映画でした。
公式サイトはこちら。
まず、評価「勧めない」の理由ですが、ここはアートディレクターがブランディングについて読むと良い本をという基準で評価しているので、
この畑づくりの実用書は、オススメできないわけです。
コンパニオンプランツとは、複数の植物を一箇所で育てるやり方です。
どの野菜やハーブが、相性が良いのか悪いのか。それどれの野菜の特徴などが、わかりやすく解説されています。
9版に渡って読み続けられているのが、良書の左証。
いやはや、畑は何かと良いみたいなので、楽しみです。
この本を片手にトライアル アンド エラーをやってみようと思います。
(大田 2019年87冊目)
まず、おほしんたろうさんのイラストが大変おもしろい。ニシワキタダシ さんのイラストと同様にずいぶんとハイレベルな笑いを提供してくれる。
「いや、笑いいらねーし」と思われるかもしれませんが、
そもそも笑いなしでも、この本はかなり実利的。
グロービスのマーケティングだって大事だけれど、だからといって侮れない内容。
ここに出てくる「あるある」は、ほんとうにウェブ制作で起こりうる「あるある」です。
たとえば、
「なんでもできます」という制作会社に任せたら迷路のようなサイトに
とか
なんとなく手詰まりになると、見せかけのリニューアルが始まる
等。
ぜんぜん馬鹿にできません。
企業のウェブ担当者側も、制作会社側も、
さらさらと目を通して損のない本に思いました。
わたしは、キンドルで読みましたが、
本で買って棚にさしておいて、なにかあったらさっと取り出したい。
ほんと、笑えるけれど、徹頭徹尾、実利に徹したウェブ制作の課題&解決法集でした。
(大田 2019年86冊目)
アリアナ・ハフィントン氏の影響ではないつもりだけれど、やはり暫定的にこう思っている。
わたしたちは、おおむね無意識に「必死に頑張る」ということが誉れ高いことだと思っているし、「必死に頑張る」姿を不眠不休で取り組むようなものと思いがちである。
さて、不眠不休って成果を出すのに良い姿勢かというと違うんじゃね?というのがここ数年模索してきて揺らがずにいる疑問である。あなたが、成功率50%の手術を受けるときに、三日三晩寝ずに「頑張っている」「必死な」医者と午後5時には帰宅して、家族と過ごし本を読み、瞑想をして7時間寝て、朝軽くジョギングしてから病院に出勤してきた医者とどちらに施術してもらうか、を考えてみるとわかり易くないでしょうか。
さて、セルフコンパッションは、もう幸福とかWell-beingには欠かせない技術です。自分を他者と同じように優しく扱うということなんですが、そんなことしたら成長しないじゃないか!?と思われるかもしれませんが、自己批判が強いほうが、成長できないし、それどこら上手く生きていけなくなります。わたし自身それを40年以上体験し続けてきました。
この本にもまさにそれを表す引用があります。
興味深い矛盾は、わたしたちがありのままの自分を受け入れることができると成長できるということである
子どもへの接し方にも自分への接し方にも、がぜん有効な知識です。岸見一郎らの「嫌われる勇気」、キャロル・ドゥエックの「マインドセット」も教育(というか親が自分と子供のためにあると良い知識として)にも良さそうです。
ただ、翻訳の悪さに対しての批判がいくつかありました。アマゾン上で。「そんなことないよ!」とは、言い難いので、英語のほうを買っても良いかもです。
英語のほうは、こちら!
Self-Compassion: The Proven Power of Being Kind to Yourself
しかも半額以下!(翻訳4千円、こちら1900円!)
追記:
興味部かかったのが、「完璧」の対義語的に使われていた言葉。何だと思います?
健康
でした。
(大田 2019年 85冊目)
福岡の市長、高島宗一郎氏の本を読んだときも感じたことだが、政治家を志す人は、ハートが異常に強い。本当に異常だと思う。
著者の高橋博之氏も、岩手県議会議員への出馬するくだりは、すごい根性論的な姿勢で、エビデンス好きな私からしたら、引きそうになるが、引かず惹かれた。県知事へも立候補するも次点で落選。それを機に、第一次産業の興隆に尽力する。そういう内容の本。
高島氏と合わせて、振り返ってみると「どうしてこんなに頑張れるんだろう?」という疑問が湧いて消えない。ちょっと気になるので、頭の片隅においておこうと思う。
わたしの友人にも農家がいるのだけれど、恩恵こそ受けているも、彼の生活を詳らかには知らない。知ったら、たぶんもっと食べ物のことを考えるんだろうなと思う。そしてそれは良いことのはずだ。それを実現していこうとしてるのが、著者の高橋氏で、生産者と消費者を結びつけていくための活動して「食べる通信」というサービスを事業している。
これはすごくおもしろい。サイトから引用すると、食べる通信とはこういう企画である。
「食べる通信」は、食のつくり手を特集した情報誌と、
彼らが収穫した食べものがセットで定期的に届く“食べもの付き情報誌”です。
これは、いいなぁ。とりたいし(さっそく購買してみる)、コンセプトがすごくクリア。
ところで、高橋博之氏のTEDの動画もある。
動画、おもしろいですよ。最後が微笑まし。
それにしても、この熱量、なんなのかしら。
いや、わたしたちだって日々情熱を仕事や恋愛などに多く注いでいます。ただ著書(ら)のあの情熱は、人種や種族がすこし違うんじゃないかなって印象を受けるのです。僅かかも知れないが、違うという。Common StarlingとWhite-cheeked Starlingのちがいみたいな。
いずれにしろ、食べものを作る人ともっと近くなるのは、すごく良いはず。「食べる通信」の購入を通して、もっと知ってみたいと思いました。
(大田 2019年84冊目)
読み終わらん!
面白いのだけれど、あまりに読み終わらない古典。『ダンテ』や『白鯨』、ゲーテの『ファウスト』も、そうなりそうな気がする。シェイクスピアが気楽に思えてくる。
ただし、魔の山は、いろいろなところで引用される。わたしも引用したい。だから、通過儀礼のようなものだと思ってふんばって読むしかない。
トーマス・マンは、執筆に12年かかったそうだ。お疲れ様でした。
主人公のハンス・カストルプも山上の療養所、ベルクホーフで7年も過ごす。
ぜんぶが長い。
映画『ダンス・ウィズ・ウルブズ』の長さなんて、超絶にかわいいものに思えてくる。生後2週間の子猫くらいかわいい。
ただ、おもしろい。おもしろいから読める。翻訳も多分良い。だから読める。が、キンドルに表示される「読み終わるまでの時間」が、上下巻ともに18時間くらいである。小説なので、速読もしないでみたが、さすがにしんどい。
ほんとうに通過儀礼である。
ハンス・カストルプ、いとこのツィームセン、いろっぽいショーシャ婦人、グルのイタリア人、セテムブリーニ、汚いナフタ。
平野啓一郎の書評で、はじめてこの小説をアナロジーとして観ることに気がつく。彼の書評はこちら。
そこから3つ引用。
マンの意図は、しばしば誤解されているように、その議論の内容を教養主義的に読者に知らしめるということでは全くない。寧ろその逆である。そうした衝突に表れている様相の「いかがわしさ」を読者に理解させることにこそあったはずである。
他方、小説のハイライトは、恐らく例の雪山での遭難場面であろうが、私はそれと同じく、ハンスが「こっくりさん」で死んだいとこの姿を見てしまう場面と、殊にナフタの自殺の場面とを挙げたい。
自殺するナフタが、決闘を回避したセテムブリー二に浴びせかける、あの「卑怯者!」という絶叫は、あらゆる思慮深い、穏健な思想に対して、絶望的な方法により問題の破滅的「打開」を図ろうとする欲動が投げ掛ける、暗く、激しい愚弄と挑発の声である。マンはそうした「いかがわしさ」を誰よりも知悉(ちしつ)していた。さもなくば、どうして彼の「市民」という言葉が、滑稽に響かないことがあるだろうか。
(大田 2019年83冊目)
『最高の体調』の鈴木祐氏やメンタリストDiaGo氏の著書が、論文ベースなのに対して、橘玲氏の本は、他者の著書をベースにしています。その辺が、精度という意味では少し危うくなります。本の論拠を確かめるのが、やや手間だからそのままにしておきがちで、そうすると不確かなものを積み重ねた論理になっていくから。だから「ほんとかしら?」という疑問を持つにはとても良い。
それに、この本のテーマは、すごく良い視座を与えてくれます。それは
「人々が自分たちの都合のために作り上げた常識の一つでもある倫理を外してファクトを見たら見えてくるものを根拠に世界観を構築しよ」
というものです。これは、最近でた『ファクトフルネス』も近いテーマですが、あちらは、もう少しポジティブで、こちらは、いくぶんパセティックです。文体もパセティック。でも姿勢はポジティブ。(それが橘玲さん、というのがわたしの見立て。)
アマゾンの書評には、「エピジェネティクスを無視した本じゃな」という批判もあったけれど、わたしたちの遺伝子が旧石器時代をベースにしているということ、農耕時代から生まれた歪みについては、世界的ベストセラー『サピエンス全史』より先んじて触れていることに先見の明が伺えました。そもそも書評の「エピジェネティクス」の持ち出し方も、うーんという感じがあるので、書評についてはおいておいて、それでも本ベースなので、気になる部分は自分で調べましょ!とは思います。
それでも、性については、かなり面白かった。そして、これについては、確かに「言いづらい」。
またあとがきが痛烈。
橘玲氏は、猛烈に研究される方なので、その知識の編纂をおこぼれ的にいただくというよりは、「自分より圧倒的に研究している人の知見を通して自分なりの課題を形成する」という接し方が、今の所わたしはベストだと考えています。そして匂いは好きではないものの、彼を経由して得たいものはまだまだある、ので、どんどん読んでいきたいです。そしてその熱量と慧眼(鳥の目、魚の目、虫の目の凄さ、というかよくそこからメタな視点に引けるな!とバランス感覚)にものすごく尊敬の念を抱きます。
(大田 2019年 82冊目)
随分前に買ったもので、当時はこのミラクルモーニングのリチュアルのショートバージョンをよくやっていました。
その頃と今までの間に200冊以上本を読んだ結果、なかなかの隔世の感があり、その辺はおもしろい。
どうおもしろいかというと、佐藤優氏が引用したのだったか、誰かこう言っていたことを実感するからです。
「本を読むということは、読んだあとに違う人間になるということだ」
わたしはこの本を買ったころと今ではずいぶんと変わったなぁと感じる。それはさておき。
本の内容は、ざっくり言えば「未来の引き寄せ」である。「いつか」を具体的に近づけていく意識を持とうというもので、
著者のハル エルロッド氏の個人経験則の紹介です。
啓蒙書には、エビデンス編纂系(とは言え、パッチワーク同様、編纂者の恣意は反映されえる)と「おれはこれでうまくいった(または失敗した)」という経験則系がある。
この本は、経験則系。
ハル氏は、能力が高くて順風満帆だったところ、交通事故で身体や脳がシッチャカメッチャカになってしまう。「ああすればよかった、こうしなければよかった」と苦しみまくったあげく、「あれ?それ意味なくね?」ということを人生を賭して開眼する。そこからの復活が目覚ましい。しかしそれはきれいな復活ではなく、また人に騙されたりなんだりで失敗する。それでも復活し続ける。
これはなかなかすごいことです。レジリエンスとはこういうことを言うのだなと至極得心します。
リチュアルそのものは、エビデンスベースではないので、実践してもいいし、読み流しても良いと思います。未来を具体的に想像することが、その実現に役立つわけではないというエビデンスがあるんで、enVisionもさほど効果はなさそうです。朝が弱い人は無理して起きないほうが良い、というのも現代科学の定説になっています。運動とやる気の関係は、ばりばりあるので、バービーなど仕事の合間にやるのは、効果的です。朝はかるーいジョギングやウォーキングに良いです(あ、この辺は、この本にかかれていません。なんなら何時間寝たほうが良いとかも、「人によるんじゃね?」という話に終始していましたので、詳しくは書かれていません。何時間寝れば良い?という話は、ダニエル ピンクの『When』とかアリアナ ハフィントンの『スリープレボリューション』などを参考にすると良いでしょう。それにしても括弧の中が長すぎました)。
と考えると、真似したいリチュアルではなさそうですが、ハル氏のレジリエンス具合には、一読に値するというか、人生の指標のなかに入れておきたいと思いました。しかも今ならキンドルで500円くらいで読める。その費用対効果は高い!
(大田 2019年81冊目)
経験則ベースに見えて、エビデンスを軽視していない本で、というかすごいのは、平易な文で徹頭徹尾しているところ。
「レジリエンス」とか「拘泥」など、もしかしたら分かりづらいかもしれないけれど、「レジリエンス」は翻訳しないほうが良いのもわかるし、「拘泥」は日本語だし、調べよう。
レジリエンスに関しては、最近はビジネス雑誌などでも頻出しているようですが、「ストレスが掛かっても折れないで戻ってくる弾力」みたいな意味です。
さて、この本のおもしろいところは、平易に見えて、すごくすごくきれいな正解を提示していて、それはこの本の言外のテーマでもあるのであけれど、「生きる目的は、いっぱい楽しんで人生を全うすることでしょ?」というもの。死を忌むべきものとせず、直視して人生という舞台のフレームとしている。
またざっくりした経験則開陳に見えて、著者の新見氏は、知のアップデートに余念がない。あとがきで述べる中国の実情から得た世界観も軽視できない。というか、その探求姿勢は見習いたい。
内容に関しては、「へー」と思うことでも「ほんとかな」という思うことでも、他の本や論文で自分で確かめると良いと思うのですが、(なぜなら楽しいから)、ほとんどエビデンス的には現代の科学と合致するものが多かったです。でも、「節」の精度をあげるための勢いもあるので、一部「それはちょっといかがかしら」と思うところもありましたが、あまり問題ではなさそうです。
他の著書に『死ぬならボケずにガンがいい』というものがありましたが、これとまったく同じことを尊敬する経営者も一緒に飲んでいるときに口にしていました。
本も良いけど、アウトプットせんとあかんでーとか、健康のために気持ち良いことを犠牲にするのもほどほどにね(著者自身、トライアスロンをしている。※トライアスロンは科学的は健康ではない。)等々、ようは「健康のための人生ではなく、人生のための健康だろうて」という姿勢は心地よいのみならず、生きるうえで理想かもしれません。
この本から学ぶべきは、Tipsというよりは姿勢なのではないでしょうか。
(大田 2019年80冊目)
改めて買うほどのものかと問われるとうまく答えられないのだけれど、手元になるなら捨てないで本棚入れておきたい本。
エビデンスベースではないけれど、
「そりゃちょっと違うんじゃないかな?」と思う部分はなさそうで、それより「いやー確かにそうかもしれない!忘れてた!」と思い至らしめられることがありました。
そしてエビデンスベースの知見と合致する部分もあったり、やはり侮れません。
またTipsが47項目と少なくて、さらさらと読めて、獲得しやすい。
カバーやタイトルが恥ずかしいかもしれませんが、わたしは今のところ、捨てずにおいておきたい本としています。
(大田 2019年79冊目)
映画関係の人と話をしたときに、彼女は「ジャームッシュがそれほど得意ではない」と漏らしていたのだけれど、そう聞いてみると彼女の意図するものは理解できたりしました。それでも、鼻につきかねないエゴを超えて、世界を肯定する力と音楽のような気配には、心打たれるし、惹かれました。パターソンという街で暮らす、パターソンというなのバス運転手の話で、彼は詩人でもある。
パターソン出身の詩人、ウィリアム・カロス・ウィリアムズの詩が何度か出てきたので、買って読んでみました。
詩を良く読まない人(わたしも少しは含まれる)の先入観を壊す世界がそこにあって、それを通して、また自分の日常に帰ってくると、窓の外から聞こえてくる車が跳ねる雨水の音の繰り返しや中断、冷めつつあるコーヒーの温度など、いろいろなものが情景を持ち始める。すごいことだと思う。エリオットだと知らない国の知らない時代に思いを馳せることができるし、エリザベス・ビショップだと女性が観る世界に移行できる。けれどもウィリアム・カロス・ウィリアムズは、今居る場所を変えることなく、位相が変わる。
サラサラと何度も何度も読みたいので、わたしはこれをkindleで買ってよかったなと思いました。
(大田 2019年78冊目)